かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

05.転機その2

2010-06-27 18:33:39 | 麗夢小説『夢の匣』
 理科実験室で麻酔をかけられたカエルたちが仰向けに固定されている頃、一人実験室を抜け出してきた教頭は、職員室を素通りし、そのまま大きく開放された出入口から校舎の外に出た。そのまま中庭の花壇を通り過ぎ、初等部の正門を抜けて、道一つ挟んだ向かいにある、高等部の敷地へと足を踏み入れた。
 迷いなくまっすぐ前を見て堂々歩く様子には、さっき気弱げに実験室を後にした「解剖の苦手な」老教師の姿はない。むしろ、無表情のうちにも口元に自信あり気な笑みをかすかに浮かべて目標を見定めている姿には、「死神」の通り名にふさわしい威圧感さえ覚えさせるものがあった。
 グラウンドを横切る初等部教頭の姿に、体育の授業で校庭に出ていた高等部生徒達が何事かと遠巻きに眺め、近くにいた何人かが慌てて会釈して逃げるように去っていったが、教頭はそんな生徒たちの様子など全く意に介さない様子で通り抜け、ついに、目的地、「南麻布学園高等部部室棟」へとたどり着いた。
 まだ授業真っ最中の今、校舎から少し離れて立つ部室棟に、人の気配は絶えてない。教頭は更に周囲を伺うと、部室棟へ入ろうとして、ふと足を止めた。その入り口正面に、高等部の校庭には似合わない、小柄なツインテールの女の子が立ちはだかっていたからである。
「荒神谷君ではないですか。身体の具合はもういいのですか?」
 その少女は、担任から、体調を崩して休んでいると聞いていた、荒神谷皐月であった。両手を後ろで組んで部室棟出入口の真ん前に立った皐月は、軽く頭を下げると教頭に言った。
「ええ、ちょっと疲れが出ただけで、もう大丈夫です」
「それはよかった」
 教頭は、怪訝な顔を穏やかな微笑に変えて、自身副担任を担当するクラスの委員長に話しかけた。
「それなら早く理科実験室に行きなさい。解剖実験を始めたところだから、今からでも充分授業に間にあいますよ」
 しかし、荒神谷皐月は微動だにせず、すまし顔で教頭に言った。
「そんなことより、教頭先生はどちらに行かれるんですか?」
「なに、高等部の先生に少し用事があるんですよ」
 すると皐月は、じっと下から伺うように教頭の目を見つめながら言った。
「違うでしょう教頭先生。先生の目的は、部室棟奥の古代史研究部じゃありません?」
「何を言ってるんです君は。いいから早く行きなさい。ここは、初等部の生徒がいていい場所じゃないですよ」
 少し困ったふうに呼びかける教頭に、皐月はゆっくりと手を前に回して、おへその前辺りで組み直した。その小さな両手の中に、鮮やかな刺繍が施された小さな箱が収まっている。その箱が目に入った途端、教頭の目がすぅっと細くなった。その変化にニヤリと笑みを浮かべた皐月は、教頭の注意を無視して改めて尋ねた。
「教頭先生、今、先生は本当に教頭先生ですか?」
「いいかげんにしなさい荒神谷君。君はさっきからどうも様子がおかしいですよ。何をワケの分からないことを言っているんです?」
「様子がおかしいのは教頭先生ではないですか? もう一度お尋ねします。先生は今、本当に教頭先生ですか? それとも……」
「それとも?」
「……死神ですか?」
 言い終える間もなく、荒神谷皐月の身体が横っ飛びに左へ飛んだ。その残像を、プロのボクサーもかくやと言わぬばかりの教頭の右手がつかみ損ねた。半ばのんびりとした老人の姿をかなぐり捨て、残忍さを漂わせる嘲笑で唇をひねりあげながら、教頭は言った。
「フフフ、よく気づいたな、小娘」
「やっぱりその姿で覚醒していたのね。でもどうやって? あの時ボッコボコにして今度こそ完全に取り込んだはずなのに」
 姿だけは教師然としたルシフェルは、不快げに目に怒りを閃かせると、すぐに嘲笑を取り戻し、皐月に言った。
「おかげで一つ気づくことが出来た。このくだらない悪夢を終わらせるヒントにな」
「じゃあ、今度こそ貴方を取り込ませてもらわないと」
 皐月は慎重にルシフェルを見据えると、その進路に立ちはだかった。皐月の抱える箱が急激に霊力を上げ、白い煙がその口からこぼれ出す。だが、今度はルシフェルは慌てなかった。
「わしが何の手も打たずに、ここまでのこのこ出てきたと思っているのか?」
「どういうこと?」
「フフフ、ほら、聞こえぬか小娘」
「?……!」
 ルシフェルの言葉に、わずかに注意を耳に集中した皐月は、グラウンドを隔てた初等部の方から少しずつ近づいてくる、悲鳴とも怒号ともつかぬ声に目を瞠った。
「待てー! お願いだから待ってー!」
 その目に入ってきたのは、タイトスカートの裾が乱れるのも構わず駈けてくる、担任の全力疾走だった。
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