かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

2ヘクタールの田植えなんて今は機械ですぐに終わりますが、弥生時代はどれだけかかったのでしょう。

2011-11-10 21:01:33 | Weblog
 昨日のお祈りが効いたのか(笑)、今日は平穏無事な一日でした。ある程度成果もありましたから、トータルで十分プラスな一日だったと言えるかも知れません。まあ昨日だって色々散々な目には会いましたが、仕事そのものはそれなりに前に進めることが出来ましたし、そういう視点からすると必ずしも悪いだけの一日ではなかったとは言えます。結局物事の視点と言うか捉え方一つで良くもなり悪くもなるという、至極当たり前なことをこの2日ばかりで観察し得たということなのでしょう。明日は100人ばかりの前で30分ばかり話をしなければなりませんので、願わくばトチったりしないように、ぼちぼちいいイチニチであってくれればそれで十分満足できると思います。

 さて、奈良県御所市でわが国最大の弥生時代前期の水田跡が発見されたのだそうです。時代は2400年前。河川の氾濫で埋まってしまった田んぼが、その後再開発されること無く現代まで保存されたために、ほぼ完全な形で残っていたとのことでした。その面積は2万平方メートルと言いますから、農業風に言い換えると2ヘクタールとそれなりの規模です。ただ、一区画が3m☓4mと非常に細分化されており、細かいあぜ道が縦横に走っているそうなので、実際に稲が植えられた田んぼ面積はそれなりに割り引いて考えたほうがいいのかも知れません。写真を見ても、実に細かくまるで細胞のように小さな田んぼが細いあぜ道で敷き並べられたようにくっつき合っていて、写っている発掘作業中のヒトの姿と見比べても、一枚一枚が本当に狭苦しい感じのする田んぼになっています。発掘している奈良県立橿原考古学研究所によると、現地は緩やかな傾斜面であり、大きな一枚田んぼを作るには地面を水平に均さねばならないため、その手間を省くためにこういう細かい田んぼを多数作り上げたのではないか、とのことでした。合理的で納得しやすい説ですが、それにしてももう少し広い田んぼを作ることもできそうでもあります。まあ、明日香村の少々山手にある田んぼはやっぱりこんな狭さで段々畑のように重なりあっていますから、そういう土地の形に合わせて田を設けるというのは至極普通のことなのかも知れません。
 それにしても、2ヘクタールの田んぼでどれだけの人間が養えたのでしょうね。まあ田んぼはこの発掘現場だけではなかろう、とは思いますが、現在のお米ですと、10アールあたり500キロほどですから、2ヘクタールあれば10トンばかりの米が取れます。でも弥生時代はあれだけ一枚一枚が細かく区分されていますし、稲のコメを作る能力も今の品種とは比較にならないほど少なく、考古学の本をみると10アールでいいところで100キロほどだったそうです。つまり2ヘクタールでは2トンも取れれば上出来というわけですが、そう考えてみると実に少ない量でしかありません。多分どんぐりなど、縄文時代から食べているものも盛んに消費されていたのでしょう。
 2400年前に色々と想いを馳せることができる、楽しげなニュースでした。

コメント
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