かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

動物愛護精神は理解できなくもないのに、叫ばれると何故反感を覚えてしまうのか不思議なものです。

2015-01-04 22:46:24 | Weblog
 今年は殊の外長かった「冬休み」も今日で終わりです。とりあえず今朝は早起きして明日以降に備えようと思っていたのですが、うまくいかず9時過ぎまで惰眠を貪ってしまいましたが、まあ仕事に行かねばならないとなればとりあえず目を覚ますくらいはなんとかなるか、と少々楽観的に明日朝のことは考えております。それより気になるのは天気ですが、どうやら明日は穏やかな冬晴れの一日になる模様。少なくとも、雪とか路面凍結とかの心配はしなくて済みそうです。

 さて、全国動物ネットワークという動物愛護を加賀げておられる団体が、諏方大社の神事に対して反対を表明しておられるようです。その神事は蛙狩神事(かわずがりしんじ)と呼ばれるもので、来歴がよく判らない非常に古い儀式の一つなのだそうです。既に大社でもその本義は明快には判らないらしいのですが、元旦の行事として連綿と受け継がれ、今も毎年行われております。行事の内容は、御手洗川という小さな川の底をさらい冬眠中のカエルを見つけ、そのカエルを神殿に持ち帰り、篠竹の矢で射抜いた上で、初贄として神前へ捧げられるとのことです。
 確かに観ようによっては随分残酷な儀式に感じますが、数百年、ひょっとすると諏訪大社は最古級の神社の一つですから数千年かも知れず受け継がれてきた神事の一つを、単に動物愛護という現代的感覚を持って、糾弾しその存続を絶とうというのが果たして正しいことなのかどうか、疑問を感じます。私自身は、かわいそうと思って儀式に反対するよりは、伝統神事のあるがままの存続の方にこそ重い価値を感じますし、動物愛護を絶対正義として掲げる姿勢には多少の反発も覚えます。ただそれもまた儀式の外側からの感想に過ぎません。
 いずれにしても神社の「神事」であるなら団体の方や私のような全くの門外漢がいくら騒いでみたところで、氏子の方々とかの中から信じのあり方について問題提起が無いと変化を促すのは難しいのではないでしょうか。まあ諸葛亮孔明の饅頭起源ではないですが、美味い形で形代とか人形とかの「代役」に変えていければそれはそれで良いのかもしれませんが、それは大社の信者の皆さんで検討頂くべきことであり、問題提起だけならともかく、神事に対する理解も敬意もなくただ外から反対反対と大騒ぎしてプレッシャーを掛けるのはいかがなものか、と思います。

コメント
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