かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

何故恩赦などという話がいまだに出てくるのか、理解に苦しみます。

2018-05-01 20:21:22 | Weblog
 今朝の奈良市アメダスの最低気温は13.4℃、最高気温は29℃、五條市アメダスの最低気温は10.3℃、最高気温は27.7℃でした。
 今日は朝から良い天気で、背広だと少し暑く感じる程でしたが、通勤の電車が早くも空調を入れており、乗車中はかなり寒く感じました。幾らなんでも冷房を使うのはちょっと早すぎるでしょう。個人的には、真夏の酷暑以外は空調はそんなに要らないだろうと思う方なので少々感覚がずれているかもしれませんが、まだまだそれなりの格好をして調整できる範囲ですし、ラッシュで押し合いへし合いしている車両ならいざ知らず、余裕でスマホや新聞が読める程度の混雑具合で痛風ならともかく冷房までは要らなかったと思います。まだ5月が始まったばかりですし、もう少し待ってほしいなと言う感じです。

 さて、間近に迫った天皇陛下の譲位と皇太子殿下の即位にあたり、恩赦を実施しようという動きがあるのだそうです。もし行われれば、現行の憲法においては11回目、平成5年の皇太子殿下と雅子妃殿下とのご成婚の式以来のことで、四半世紀ぶりのことになるのだとか。ただ、どの罪も一等減じようとか言うものではなく、微罪や有罪判決確定で失ったり停止されたりした資格を回復する復権に留めるなど、抑制的な発布を検討されているとのことですが、さて、今の時代、恩赦など必要とされるのでしょうか? 昔々ならともかく、おめでたい事をもって犯罪者の罪を減じようというのはどうにも違和感を覚えてなりません。昔々は罪を犯す事そのものが、神たる天皇陛下への裏切り行為とでも言うべきことで、神事慶事をもってその罪を雪ごう、というのは陛下の持つ権能の一つとも理解できるのですが、今や三権は分立して久しく、天皇陛下は国事のみに関わりを持たれ、三権に当たる世俗のことには超然とされるのがふさわしく思います。第一、刑法という国法でもって裁かれ、量刑を定められて罪に服したものを、その量刑をただおめでたいから、と言うだけで減じるなどどう考えてもおかしいでしょう。
 何をもって恩赦など考えるのか、それを論ずる為政者達の思考が理解できませんが、せめて恩赦の規模を云々する前に、その考えるところを国民にしっかり説明して理解を求めるところからなすべきでしょう。

コメント
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