「智盛様、お願いでございます、かような恐ろしいことはおやめ下さいまし。あの石を開けてはなりません」
智盛は当惑した顔で麗夢を見た。が、昔もそうであったように、その真摯な瞳に抵抗するのは智盛には難しかった。智盛は、言いにくそうに口を開いた。
「それは出来ない。麗夢よ。これには我が一族の命運がかかっているのだ」
「でも・・・」
「私はそなたを失って後、ただ死ぬことだけを考えて戦ってきた。そなたの命を奪った源氏をひたすら憎み、一人でも多く道連れにして、そなたの下に旅立つことが、私の支えだったのだ。だが、壇ノ浦において一門が次々と敵の手にかかる惨事の中、最後の暇乞いを申しに赴いた兄、知盛が、私に途方もないことを押し付けたのだ。兄は私にこう言った。
「平氏の命運はここに尽きた。だが、衰運極まればまた興隆の道も開けるという。わしは帝のお供をして竜宮へなと参る所存だが、まだ若いお前は新しい平氏を創始し、再びかつての栄光を築く礎として生きて欲しい。幸い吉野には、小松殿嫡流の維盛がいる。力を合わせ、いつか必ず、平氏復興の素懐を遂げてくれ」
勿論私は断った。現世になんの未練もない。平氏復興は兄者がやれ、と。だが、兄はこの草薙の剣を私に押し付け、涙を流して我が手を取った。父清盛公や兄小松殿の衣鉢を継ぐのは、この自分よりもむしろお前の方だと、あの、敵味方双方より鬼神と恐れられた兄が、涙を流して頼むのだ。私はもはや断る言葉を失った。だが、辛うじて壇ノ浦を落ち延びたのも束の間、その後に襲ってくるのは、ことごとく白旗に転じた諸国の軍勢と、落ち武者狩りの嵐だった。わずかな供回りは次々と討たれるか逃げるかしてたちまち失われ、遂に一人になった私も吉野に入る途中で過労の余り病に倒れた。これまで、と覚悟した私がもう一度目が開いた時、目の前にこの祟海殿がいた。気がついた私に祟海殿は、力を貸してくれと言った。反魂の術によって今お主を蘇らせた。力を貸して欲しい。代わりに、お主の夢を叶えて進ぜよう、と。私は、望みはない。ただ静かに旅立たせてくれと祟海殿に言った。が祟海殿はこう言って私の心を揺さぶった。平氏再興の夢をいかが致す? わしに助力してくれれば、今お主を蘇らせたのと同じ力で、お主の一門ことごとくを蘇らせてくれるがどうじゃ?・・・私はその申し出に、正直言ってぐらと傾いた。もしそんなことが可能なら、一門ばかりではない、麗夢、そなたも生き返らせることが出来るではないか。私は祟海殿にそのことを告げ、二つ返事に請け負った言葉に、行動をともにすることをい決心したのだ。そのためにはこの石を砕き、祟海殿にその中に封印されているという力を与えねばならない。幸い一つの望みは、麗夢、そなたとこうして再会できたことで見事に成就した。この上はなんとしてももう一つの夢、我が一族を復活させ、我らを苦しめた憎い源氏を駆逐して、平氏による王城楽土をこの世に建設しなければならないのだ」
これで納得してくれただろうかと智盛は麗夢を見た。が、麗夢は悲しげに首を振るばかりであった。
「良くお聞き下さい。ここに入っているのは、そのようなものではございません。我が先祖が数千年の長きに渡り、狩り集めてきた太古の悪夢が封印されているのです。確かにそれは途方もない力を持ちますが、何人といえどもそれを解放することは許されず、ましてや利用するなど到底出来るものではありません。どうかお考え直し下さい。さもないと私は・・・」
麗夢は愛しき男の胸から身を起こし、一歩二歩と間合いを取った。
「私は・・・、私は夢守の名において、あなたを討たねばなりません!」
「私を、討つ?」
智盛はちょっと驚いた風だったが、直ぐに悲しげに首を振った。
「そなたの言うことに嘘偽りはないだろう。だが私も、平氏の名にかけてここを譲ることは出来ないのだ。祟海殿が出来ると言う限り、私はそれを頼らずにはいられない。許せ、麗夢!」
「駄目、智盛様! やめてえっ!」
智盛は未練を断ちきるように麗夢に背中を見せると、草薙の剣に手をかけた。腰を落とし、丹田に気を込めて剣の衝撃に備えると、一気に剣を抜き放った。鈍い青さび色の刀身は、次の瞬間智盛の精を吸い上げて金色に輝く稲妻の剣へと変化した。その燭光で目を灼かれた鬼童等は、きらりと光る短剣を腰に構え、麗夢が身体ごと智盛の背中に飛び込んでいったのを見ることは出来なかった。
ようやく皆の目が慣れた時、その光景に息を呑まずに済んだ者はいなかった。智盛は、光も薄れた神剣を大上段に振り上げて止まっていた。その背中に、髪を振り乱した麗夢が、倒れかかるように飛びついているのが見えた。智盛は見る間に身を震わせたかと思うと、がくん、と膝から落ちて地に伏せた。辛うじて草薙の剣を杖に上体を起こした智盛は、背中の麗夢の姿を見、空いた手を伸ばして自分の胸に麗夢を抱き取った。その瞬間智盛の顔が苦痛にゆがんだ。智盛の背中に、深々と一振りの脇差しが突き立っていた。智盛はその柄をちらと一瞥して、弱々しくほほえんで見せた。
「まだ、持っていてくれたのだな、麗夢」
言い終えると同時に、智盛は横様に倒れ込んだ。その柄は、都を離れるとき、源氏が狼藉を働かんと欲した時にはこれにて身を守れと智盛が自ら手渡した、選り抜きの神剣だったのである。
智盛は当惑した顔で麗夢を見た。が、昔もそうであったように、その真摯な瞳に抵抗するのは智盛には難しかった。智盛は、言いにくそうに口を開いた。
「それは出来ない。麗夢よ。これには我が一族の命運がかかっているのだ」
「でも・・・」
「私はそなたを失って後、ただ死ぬことだけを考えて戦ってきた。そなたの命を奪った源氏をひたすら憎み、一人でも多く道連れにして、そなたの下に旅立つことが、私の支えだったのだ。だが、壇ノ浦において一門が次々と敵の手にかかる惨事の中、最後の暇乞いを申しに赴いた兄、知盛が、私に途方もないことを押し付けたのだ。兄は私にこう言った。
「平氏の命運はここに尽きた。だが、衰運極まればまた興隆の道も開けるという。わしは帝のお供をして竜宮へなと参る所存だが、まだ若いお前は新しい平氏を創始し、再びかつての栄光を築く礎として生きて欲しい。幸い吉野には、小松殿嫡流の維盛がいる。力を合わせ、いつか必ず、平氏復興の素懐を遂げてくれ」
勿論私は断った。現世になんの未練もない。平氏復興は兄者がやれ、と。だが、兄はこの草薙の剣を私に押し付け、涙を流して我が手を取った。父清盛公や兄小松殿の衣鉢を継ぐのは、この自分よりもむしろお前の方だと、あの、敵味方双方より鬼神と恐れられた兄が、涙を流して頼むのだ。私はもはや断る言葉を失った。だが、辛うじて壇ノ浦を落ち延びたのも束の間、その後に襲ってくるのは、ことごとく白旗に転じた諸国の軍勢と、落ち武者狩りの嵐だった。わずかな供回りは次々と討たれるか逃げるかしてたちまち失われ、遂に一人になった私も吉野に入る途中で過労の余り病に倒れた。これまで、と覚悟した私がもう一度目が開いた時、目の前にこの祟海殿がいた。気がついた私に祟海殿は、力を貸してくれと言った。反魂の術によって今お主を蘇らせた。力を貸して欲しい。代わりに、お主の夢を叶えて進ぜよう、と。私は、望みはない。ただ静かに旅立たせてくれと祟海殿に言った。が祟海殿はこう言って私の心を揺さぶった。平氏再興の夢をいかが致す? わしに助力してくれれば、今お主を蘇らせたのと同じ力で、お主の一門ことごとくを蘇らせてくれるがどうじゃ?・・・私はその申し出に、正直言ってぐらと傾いた。もしそんなことが可能なら、一門ばかりではない、麗夢、そなたも生き返らせることが出来るではないか。私は祟海殿にそのことを告げ、二つ返事に請け負った言葉に、行動をともにすることをい決心したのだ。そのためにはこの石を砕き、祟海殿にその中に封印されているという力を与えねばならない。幸い一つの望みは、麗夢、そなたとこうして再会できたことで見事に成就した。この上はなんとしてももう一つの夢、我が一族を復活させ、我らを苦しめた憎い源氏を駆逐して、平氏による王城楽土をこの世に建設しなければならないのだ」
これで納得してくれただろうかと智盛は麗夢を見た。が、麗夢は悲しげに首を振るばかりであった。
「良くお聞き下さい。ここに入っているのは、そのようなものではございません。我が先祖が数千年の長きに渡り、狩り集めてきた太古の悪夢が封印されているのです。確かにそれは途方もない力を持ちますが、何人といえどもそれを解放することは許されず、ましてや利用するなど到底出来るものではありません。どうかお考え直し下さい。さもないと私は・・・」
麗夢は愛しき男の胸から身を起こし、一歩二歩と間合いを取った。
「私は・・・、私は夢守の名において、あなたを討たねばなりません!」
「私を、討つ?」
智盛はちょっと驚いた風だったが、直ぐに悲しげに首を振った。
「そなたの言うことに嘘偽りはないだろう。だが私も、平氏の名にかけてここを譲ることは出来ないのだ。祟海殿が出来ると言う限り、私はそれを頼らずにはいられない。許せ、麗夢!」
「駄目、智盛様! やめてえっ!」
智盛は未練を断ちきるように麗夢に背中を見せると、草薙の剣に手をかけた。腰を落とし、丹田に気を込めて剣の衝撃に備えると、一気に剣を抜き放った。鈍い青さび色の刀身は、次の瞬間智盛の精を吸い上げて金色に輝く稲妻の剣へと変化した。その燭光で目を灼かれた鬼童等は、きらりと光る短剣を腰に構え、麗夢が身体ごと智盛の背中に飛び込んでいったのを見ることは出来なかった。
ようやく皆の目が慣れた時、その光景に息を呑まずに済んだ者はいなかった。智盛は、光も薄れた神剣を大上段に振り上げて止まっていた。その背中に、髪を振り乱した麗夢が、倒れかかるように飛びついているのが見えた。智盛は見る間に身を震わせたかと思うと、がくん、と膝から落ちて地に伏せた。辛うじて草薙の剣を杖に上体を起こした智盛は、背中の麗夢の姿を見、空いた手を伸ばして自分の胸に麗夢を抱き取った。その瞬間智盛の顔が苦痛にゆがんだ。智盛の背中に、深々と一振りの脇差しが突き立っていた。智盛はその柄をちらと一瞥して、弱々しくほほえんで見せた。
「まだ、持っていてくれたのだな、麗夢」
言い終えると同時に、智盛は横様に倒れ込んだ。その柄は、都を離れるとき、源氏が狼藉を働かんと欲した時にはこれにて身を守れと智盛が自ら手渡した、選り抜きの神剣だったのである。
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