議会改革の目的は、住民・市民にとっての議会・議員のあり方を考えることだと思います。どのようにして、広く市民の意見を聴きながら、政策を形成して行政に提案できるのか、また、市民の意見を聴く中からどのようにチェック機能を果たしていくのかだと思います。
その基礎の上に、これから先の議会と市民の関係の上でどうなっていくのかという展望をなくして、今ある議会のいろいろな仕組みがどうあるべきなのか、それを考えることが大切ではないかと思います。
もちろん、これまでの議会の先人の方々が形成されてきたことは、一概に否定することとは思いません。が、ゼロベースで考え直し、その上で先例集などとの整合性を考えることがよいのではないかと思います。
得てして、議会改革という言葉から政務調査費や費用弁償といった事柄に注目が集まりますが、それらは、議会の議員の仕事をもっと精査し、現在の制度の中で最大限に議員の議会のできることを広げるなかで、整理して考えるべきことだと思います。
枝葉の議論(改革に関する個別の事例)を、幹となる議論(市民と議会の関係について)をおろそかにしている状態で話しても、はたしてそれが市民・住民のためのものであるかと考えるとそうは思えません。枝葉の議論を進めても、議会という仕組みの中での、内輪の議論になってしまうのではないかと危惧します。
議員の仕事は議論して意見を形成することであると私は思っているのですが、ときとして、一回の会議時間をおおむね2時間と設定しているからと、議論の方向も定まらないうちに、それを先送りの形にして、2時間がきたら会議を終えることがあるのですが、そのようなことは、議会・議員の仕事としてどうなのかという疑問がぬぐえません。その会議に出席するためには、費用弁償も発生しているのですから余計にです。それに、職員の定時は5時15分ですから、すくなくとも午前10時から午後5時までは会議の枠を持つべきだと思います。そこでしっかりと議論することこそが、議員の仕事ではないでしょうか。
これまでの議会のしきたりや仕組みを再評価・再検討しながら、あたらしい議会のあり方を模索し、市民との関係をより密にするようにしていくことこそが、市民にとっての議会改革の方向ではないかと私は思います。
その基礎の上に、これから先の議会と市民の関係の上でどうなっていくのかという展望をなくして、今ある議会のいろいろな仕組みがどうあるべきなのか、それを考えることが大切ではないかと思います。
もちろん、これまでの議会の先人の方々が形成されてきたことは、一概に否定することとは思いません。が、ゼロベースで考え直し、その上で先例集などとの整合性を考えることがよいのではないかと思います。
得てして、議会改革という言葉から政務調査費や費用弁償といった事柄に注目が集まりますが、それらは、議会の議員の仕事をもっと精査し、現在の制度の中で最大限に議員の議会のできることを広げるなかで、整理して考えるべきことだと思います。
枝葉の議論(改革に関する個別の事例)を、幹となる議論(市民と議会の関係について)をおろそかにしている状態で話しても、はたしてそれが市民・住民のためのものであるかと考えるとそうは思えません。枝葉の議論を進めても、議会という仕組みの中での、内輪の議論になってしまうのではないかと危惧します。
議員の仕事は議論して意見を形成することであると私は思っているのですが、ときとして、一回の会議時間をおおむね2時間と設定しているからと、議論の方向も定まらないうちに、それを先送りの形にして、2時間がきたら会議を終えることがあるのですが、そのようなことは、議会・議員の仕事としてどうなのかという疑問がぬぐえません。その会議に出席するためには、費用弁償も発生しているのですから余計にです。それに、職員の定時は5時15分ですから、すくなくとも午前10時から午後5時までは会議の枠を持つべきだと思います。そこでしっかりと議論することこそが、議員の仕事ではないでしょうか。
これまでの議会のしきたりや仕組みを再評価・再検討しながら、あたらしい議会のあり方を模索し、市民との関係をより密にするようにしていくことこそが、市民にとっての議会改革の方向ではないかと私は思います。