今日の市議会全員協議会では、男女共同参画都市宣言(案)について協議しました。
鈴鹿市の都市宣言は、「交通安全都市宣言」・「人権尊重都市宣言」・「非核平和都市宣言」・「青少年健全育成都市 宣言」・「鈴鹿いきいきスポーツ都市宣言」・「モータースポーツ都市宣言」の6つが今のところあります。
そこに今回の都市宣言を含めると7つになるのですが、全員協議会の質疑の過程で感じたことを少し。
市長からの説明の中で、国も推進しており、年度当初の施政方針で取り組むとしたためということがありました。
説明に対して、議員から市長に真意を問いたいと質問が出た際、市長が答えず担当職員が答えたことには違和感がありました。自分の意志と発言で行っていることに対して、自分の言葉で取り組むことの意義を説明することは、政治に携わる者として、説明責任が問われても仕方ないと感じるところです。
また、宣言と言いながら、文面は非常に一般的なものだったことで、もっと男女共同参画についての言葉を入れるべきではないかという意見に対しても、説明はすっきりしない感じでした。委員会でより一般的な表現にまとめていくようにというような議論があり、最終的な文面案になったということですが、最後の一文をほかの言葉に置き換えても成り立つのであれば、特別宣言することもないと思います。
私は、どこまで覚悟があるのかを聞きました。都市宣言をするのであれば、国の動きを待たずに、母子家庭と父子家庭の間にあるギャップを埋めるように自治体として動くことを考えるべきと考えるからです。ですが、この点についても、執行部側の説明は、宣言は意思を表明することであり、自治体として国によらずに行動するのではなく、行動については市の計画に基づいていくという答えでした。
あとは、女性が労働力としても大切であるという意見や、男性も子育てに参加するべきといった点、社会参加を進めるべきといった観点から賛同しますという意見がありました。それらについては、その面もあるとは思いますので、その通りだろうと思っています。
ただし、若干意見はあるところです。
都市宣言をするのであれば、アドバルーンをあげることが大切なのではなく、実際にどう行動していくのかが重要ではないでしょうか。
私が質問をした本意は、鈴鹿市が都市宣言をするのであれば、それに応じた施策の展開を求めるということです。
女性の社会参画を認めないという趣旨ではなく、例えば、先に書いたように父子家庭と母子家庭の間にあるギャップを埋める努力を、鈴鹿市が自治体として独自の判断の上で行動しなければ、都市宣言をする意義は薄いのではないかということです。国の判断を理由に、改善にしり込みするようなことであれば、宣言はわざわざしなくてもよいと考えています。
覚悟がなく、イメージだけならしないほうがましだと考えます。
鈴鹿市の都市宣言は、「交通安全都市宣言」・「人権尊重都市宣言」・「非核平和都市宣言」・「青少年健全育成都市 宣言」・「鈴鹿いきいきスポーツ都市宣言」・「モータースポーツ都市宣言」の6つが今のところあります。
そこに今回の都市宣言を含めると7つになるのですが、全員協議会の質疑の過程で感じたことを少し。
市長からの説明の中で、国も推進しており、年度当初の施政方針で取り組むとしたためということがありました。
説明に対して、議員から市長に真意を問いたいと質問が出た際、市長が答えず担当職員が答えたことには違和感がありました。自分の意志と発言で行っていることに対して、自分の言葉で取り組むことの意義を説明することは、政治に携わる者として、説明責任が問われても仕方ないと感じるところです。
また、宣言と言いながら、文面は非常に一般的なものだったことで、もっと男女共同参画についての言葉を入れるべきではないかという意見に対しても、説明はすっきりしない感じでした。委員会でより一般的な表現にまとめていくようにというような議論があり、最終的な文面案になったということですが、最後の一文をほかの言葉に置き換えても成り立つのであれば、特別宣言することもないと思います。
私は、どこまで覚悟があるのかを聞きました。都市宣言をするのであれば、国の動きを待たずに、母子家庭と父子家庭の間にあるギャップを埋めるように自治体として動くことを考えるべきと考えるからです。ですが、この点についても、執行部側の説明は、宣言は意思を表明することであり、自治体として国によらずに行動するのではなく、行動については市の計画に基づいていくという答えでした。
あとは、女性が労働力としても大切であるという意見や、男性も子育てに参加するべきといった点、社会参加を進めるべきといった観点から賛同しますという意見がありました。それらについては、その面もあるとは思いますので、その通りだろうと思っています。
ただし、若干意見はあるところです。
都市宣言をするのであれば、アドバルーンをあげることが大切なのではなく、実際にどう行動していくのかが重要ではないでしょうか。
私が質問をした本意は、鈴鹿市が都市宣言をするのであれば、それに応じた施策の展開を求めるということです。
女性の社会参画を認めないという趣旨ではなく、例えば、先に書いたように父子家庭と母子家庭の間にあるギャップを埋める努力を、鈴鹿市が自治体として独自の判断の上で行動しなければ、都市宣言をする意義は薄いのではないかということです。国の判断を理由に、改善にしり込みするようなことであれば、宣言はわざわざしなくてもよいと考えています。
覚悟がなく、イメージだけならしないほうがましだと考えます。