私は鈴鹿市議会の定数見直しを行う時期だと考えています。
それは単純に数を減らせばいいということではなく、どのような議会のあり方であるべきなのか、そのときの議員のあり方はということを、議会の中だけでなく広く市民を交えた議論を行い、今後の、自治を担う議会をつくるという視点からです。
つまり、数ではなく質から議論し、それをふまえて数の議論に入るべきと考えているということです。
定数を減らす、報酬を減らすということは、いわゆる' 身を切る '姿勢ということで、一見すると改革のように見えますが、実際はどうでしょう。
減らすことを議論することが、改革や変革につながることはあると思います。しかし、減らしても、そもそもの仕組みが変わらなければ、いつまでも不満は消えることなく、減らせという動きだけが再生産されるでしょう。
例えば国会を見ると、特例公債法案への対応や復興財源の使途など、議会のあり方に疑問を持たざるをえない事案が続いています。
そもそも、赤字国債を発行しなければやっていけないことについてどう考えるのかということがありますが、その国債を発行しないことで、自治体の財政運営に大きな負担をかけることになる結果、余分な金利負担が発生したり、自治体によっては厳しい状況に追い込まれることを国会議員の方々はどう考えるのか。復興財源の使途についても、事後に追求する以前に、審議の段階できちんとチェックするべきことではないのか。
このような国会の動きが、国会議員を減らすことで改善されるでしょうか?
私はそうは思いません。
やはり、組織としての議会と、独立した個としての議員の' 質 'が問われるべきです。
同じことは地方議会にも言えることだと思います。
それは単純に数を減らせばいいということではなく、どのような議会のあり方であるべきなのか、そのときの議員のあり方はということを、議会の中だけでなく広く市民を交えた議論を行い、今後の、自治を担う議会をつくるという視点からです。
つまり、数ではなく質から議論し、それをふまえて数の議論に入るべきと考えているということです。
定数を減らす、報酬を減らすということは、いわゆる' 身を切る '姿勢ということで、一見すると改革のように見えますが、実際はどうでしょう。
減らすことを議論することが、改革や変革につながることはあると思います。しかし、減らしても、そもそもの仕組みが変わらなければ、いつまでも不満は消えることなく、減らせという動きだけが再生産されるでしょう。
例えば国会を見ると、特例公債法案への対応や復興財源の使途など、議会のあり方に疑問を持たざるをえない事案が続いています。
そもそも、赤字国債を発行しなければやっていけないことについてどう考えるのかということがありますが、その国債を発行しないことで、自治体の財政運営に大きな負担をかけることになる結果、余分な金利負担が発生したり、自治体によっては厳しい状況に追い込まれることを国会議員の方々はどう考えるのか。復興財源の使途についても、事後に追求する以前に、審議の段階できちんとチェックするべきことではないのか。
このような国会の動きが、国会議員を減らすことで改善されるでしょうか?
私はそうは思いません。
やはり、組織としての議会と、独立した個としての議員の' 質 'が問われるべきです。
同じことは地方議会にも言えることだと思います。