「メルトダウン(炉心溶融)」という言葉を使うなとしたことは、隠蔽だったとして東電社長が謝罪をしたというニュースが出ています。しかし、ニュースの扱いが小さいような気がしませんか?そもそも、「メルトダウン(炉心溶融)」という事態とその影響から考えて、隠蔽したことを“謝罪”で済ませてよいことでしょうか。自分にはそう思えません。
本来であれば、メディアは企業に対して厳しく取材し責任追求をすると同時に、当時の政権政党と現在の政権政党とそれぞれに、起こった事態と進行している対応から考えた国の責任を問うことがってよいのではないかと思います。
けれど、なぜかそのような論調はメディアで見かけることがないように思います。
ここでも違和感があります。朝の情報番組を見ていると、芸能人などのゴシップネタなどは、過剰なまでに謝罪を求め、それを追及するのが正義だといわんばかりの論調を張ったりするのに、今流れているのは、東京議会の視察についてや参院選の話題が主で、謝罪の話題はそれらに比べて非常に小さいと思います。
謝罪に慣れたから?
けれど、謝罪で済ましてはいけない内容もあるでしょう。今回の件であれば、もしかするとその影響は事故当時でももっと深刻であった可能性もあるわけですし、また現在も決して収束しておらず、まだまだ事故現場の処理に時間がかかり、事故の対応のために税が投入され、将来世代までその負担を負うだけでなく、もしもの場合のリスクも将来世代にわたって受け渡されているのですから、隠蔽していたことを謝ってすむものでないように思います。
今回の件で感じることは、今のメディアのあり方の課題です。ネットニュースなどをよく見る世代は、比較しながら問題を見ていますが、まだまだ多くの人がテレビや新聞などの既存メディアに依存している状況では、メディアにより情報が取捨選択され、重要なことから私たち自身が目をそらされてしまう事態になりはしないかということです。
よく言われていますが、不都合なことがあるときこそ、ゴシップネタが氾濫し、それから目をそらされているのではないでしょうか。今のメディアに不安を感じると同時に、だからこそ、メディア自身の改革を期待したいと思います。