先の豪雨災害で被災された方々について、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、土砂災害や洪水で大きな被害を受けられた方々が、一日も早く平穏な生活に戻ることができるようにと思うばかりです。
自然災害で大きな被害が頻発している今、そのような時代に入っているという認識と、これまでの考えでは対応しきれないかもしれないという認識が、政治には必要ではないかと東日本大震災以降ずっと考えています。起こった事にどう対応するかも大切ですが、起こる可能性が高い事に対して、いろいろな想定を踏まえながら、しなやかに対応する事を考えることが大切、必要だと思います。
気候変動にしても、そもそもこの二千年程度の間にも変動があったにも関わらず、私たちはこの50年程度の期間のことを絶対視しすぎてはいないでしょうか。また、私たちが作ってきたものは壊れるものではないと考えすぎて、自然は常に変化していくものだということを忘れてはいないでしょうか。
災害への対応で「自助、共助、公助」がありますが、これは自治体も同じで、自分の町が災害にどう備えるのか、貯金である財政調整基金はどうあるべきか、もし甚大な被害を受けることがあるとして、どのように復興に取り組んでいくのか、そのようなことなどを話し合っておくことが、自治体としての自助になるでしょう。
よく、国や県の想定などを待って考えるという言葉を聞いたりするのですが、想定されるような災害の情報は、すでにこれまでもメディアの特集などで出されていますし、学校教育での地学などの学習を下地に、それらから考えることはできると思います。そうして話し合い、足りないと考える情報について、県や国に要求すればいいと思います。
その時、これまでの世代は、これまでの価値観にとらわれがちということを考え、これから先の世代のことを考え、未来を考えて議論することも重要と思います。今の私たちの災害リスクを下げることだけでなく、未来を予想して、柔軟に変化することも厭わない覚悟が、今の私たちに求められていると思います。
例えば、東北で大きな被害を出した津波にしても、これから頻発するかもしれない豪雨での洪水や、スーパー台風などによる高潮にしても、それらで被害を受けた時、どのように未来に向けて復興するかを考えれば、より災害リスクの低い土地に、集団移転の可能性も含めて再建することを考えれば、被害を受ける前に、より前向きに取り組むことができるのではないかと思います。なにより、被害を受けてしまってからでは、個人のダメージが大きくなりすぎ、復興に影響があります。
つい先日、NHK特集の「大江戸」で、常に大火に見舞われながらも、その度にしなやかに復興してきた江戸時代の取り組みが取り上げられていました。その中で、大火の直後から、今でいう都市計画をつくり、集団移転や防火エリアの設置なども行なっていたとありました。今の私たちはそのようなことができるのか、そう考えさせられました。
だからこそ、地域の自然や社会状況を肌感覚で話すことのできる地方議会は、より重要な位置付けになると思います。それは、国や県からお金を持ってこれるかどうかという次元だけではなく、国や県に頼ることができなくても、自分たちのまちのことは自分たちでまず取り組む、そのような覚悟を持った上で議論ができる議会であるということの上でです。