今日は2011年から14年目の3月11日ですね。同じ年の8月には紀伊半島豪雨による被害もあったりと、自然災害に対する無力さを感じることになった年だったのかもしれないですね。
画像は2019年の自分の活動報告ですが、議員としては2011年に会派で石巻から女川の津波被災地、写真はありませんが特別委員会で香取市の液状化被災地、ボランティアとして紀伊半島豪雨の紀宝町と現場を目にしました。2019年は、宮城県名取市と岩沼市の復興の取り組みを視察しました。
2011年の被災地で大規模自然災害に対する人間の無力さを感じ、それは、熊本や能登半島での地震災害をはじめとして、各地での豪雨災害を経た今も、人の力では抑えきれないものがあるという前提で考える必要があるとの思いにつながっています。
2013年に原発事故被災地で感じたものも同じで、なにか起こったときに人では抑えきれないという前提を横においてはいけないと思います。また、現在は居住可能区域も広がり、立ち入ることができるところも広がっているとはいえ、すべてのデブリを取り出して作業を完了するまでは、進行中の事案ということも忘れてはいけないと思います。
そして太平洋に面した仙台平野の名取市と岩沼市の取り組みは、伊勢湾に面している鈴鹿市で津波被害を考えるのであれば、もし被害を受けるとして、その後どのような取り組みが必要になるかの参考で、事前復興計画の視点で考える必要を私たちに伝える事例と考えます。
昨年、南海トラフ地震臨時情報で巨大地震注意が発表されました。発令されると次の画像(内閣府サイトより引用)のような考えになっています。
少し考えると、想定される地震が発生しなかったとはいえリスクがゼロにあるわけではなく、むしろ高まる方向になっていくわけですし、想定される地震が発生すれば、命は助かっても復旧や復興には膨大な資源や時間が必要になることは、過去の地震で明らかではと思います。
中長期での避難対応まで考えているのなら、超長期の視点からの議論があってしかるべきと考えますし、それはもしかすると土地の私有に対する考えを見直す必要も考えられるなど、国ではそのための制度変更などを検討しているのかと考えます。夫婦制度のあり方の前に議論することだと思います。
などと、いろいろと考えていると、私たち自身、過去の災害などについて情報として受け取るだけでなく、自分事としてどれだけ考えてきているだろうと振り返る今日です。