珈琲タイムは「ラシーク」。。。
以前、地元ローカルTVで紹介された古民家を再生したカフェ。
その時、確かアジアの建築学生の国際サマーワークの一環として作成された1階下屋部分外壁のモニュメントが
紹介されていたと記憶する。
彼らが言う「フィルタリングアーキテクチャ」。
確かに自由な発想でそれはそれで良いのかも知れない。ただ、この地元伝統建築でもある吾妻造りの建物には
「らしくない」というのが個人的な意見。(建築家:隈研吾のそれとは違う)
確か、主催は「日本建築設計学会」でスポンサーが「アーキテクツスタジオジャパン」で、両団体とも土花吉は存じ上げないですが
アジアからの建築学生を受け入れるのであれば、先ずは日本の建築様式を理解してもらい、そこには後世に
伝えなければいけない伝統があり、そこに現代様式を加えるにしてもその領域が重要であるということを教えてもらいたい。
お互いを際立たせるか、はたまた両方が死んでしまうか、それは紙一重でもあり一つ履き違えると
不快感すら与えることになってしまう。
「らしく」って何よっ!って言われようが私は守るべき部分と崩してもよい部分が建築にはあると思う。
そんな、「らしく」あって欲しいと願い、また又、前置きが長~くなりましたねぃ。。。(反省)
注文するは珈琲¥420-とニューヨークチーズケーキ¥480-。
木製のカップで飲む珈琲は美味しくないと感じるのは私だけ?・・・。珈琲は磁器に限るが持論。
初めは 自分達で今時の家〜って、ルンルンでしたが 住んでみると あっちにもこっちにの 不満が出てくる。
それは仕方のない事で 建て方の様式が違うんだから〜って。
でもこの頃気がついたんです、昔の家は 何かにつけて便利にできてた。
今は、格好ばかり気にして 使い勝手が悪い。「ここに 吊るせたら〜」とか、「この下の収納」とか。
軒先きひとつでも、昔は色々使い方があったけど、今はツルッと 綺麗だけど それだけ。
縁の下は、風抜きはあっても それだけ。
お値段と相談だったから 贅沢は言えないけど なんか違っちゃった?って感じです。
少し話題とは 離れちゃってるかも?でも、昔の便利さを知ってる人自体が 少なくなってるんですよね、今時の家で育った人ばかりになってしまうんだから〜〜。
高断熱に高気密。
「高」がつけば何でも良いと考え「新建材」を使った結果が
シックハウスを生み、やがて人の免疫力を弱めてしまった・・・。
隙間風によって暑さ寒さを感じた時代。
身に着ける衣の数や厚さ素材で調整してきた我々も
その術を忘れ、冬でも薄着で過ごせる家を求めてしまった。
既に後戻りは出来ませんが、少し進歩というものの歩みを止め
考え直さなければいけないのかも知れませんねぃ・・・。
先ずは「人らしく」あって、その上に「男らしく」、「女らしく」あれと説いていたそうです。
基本が大切で、その上に立っての色付け何でしょうか?
私も味噌汁は木の椀が美味しいですが、珈琲も紅茶も陶器製に限りますね (^^)v
キャブの調整方法の御指南有難うございました。
私も「らしく」というのは大切だと思います。
基本があってこその個性。
Mittaさんも磁器派ですか。本来、香りも楽しむものですから
そこに器の匂いが加わるのが私は許せなくて・・・(笑)
ヨタのキャブ調整については色んなやり方があるかと思いますが
当時の修理書通りには行かないこともあるようで、
小耳に挟む程度の話として、片隅に留めておいてください。