新コロナ禍において、訳の分からない英語が以前より増して飛び交う。
ちゃんとした日本語で言えばいいのになんでですかねぃ・・・。聞いたこともないような、お得意の
和製英語が突然、出てきたりと霞が関の連中は何を考えているのやら・・・。
「テレワーク?」「ワーケーション?」。。。霞が関は、この国の経済が丸の内だけで成り立っているとでも思っているのか
次から次へと世間知らずのことばかり恥ずかしもなく言って来ますね。
PCの前に座って仕事をする職種などしれてます。
そんな中、世間で言われだしたのが「印鑑不要論」。何でも効率性や利便性しか考えない悪い例で、
別に私は「日本印鑑協会」の回し者でもないのですが、反対ですかねぃ。
わが国日本には独特な文化歴史がある。それが古くは大陸から伝わったものだとしても、
後世に伝えるべきものは伝えなければいけないと思う。
確かに一部、不要な部分はあったとしても、十把一絡げに「不要」とは無謀過ぎる。
日本には「印鑑」の他にも「落成鑑識(落款)」や「花押」というものも存在する。
現に国会の閣議書の各大臣の署名は現在でも「花押」も使われている。
「わざわざ印鑑を押すがために出社するのもどうか」という論点から外れているかとは思うが
直ぐに「印鑑不要」に話が移行してしまうから言いたくもなる。。。
そんな、お次は「手形」の話。
只今、進捗中の土花亭事務所担当の現場にて、クライアントの小さなお子さんの「手形」をリビングの
漆喰塗りの壁に残しておきたいとのご要望に応えるべく、現場監督や左官屋が見守る中、手形を押す。
何度も手形を押し、失敗しては左官屋が鏝で塗り押さえ直し、又押しては直すこと数回で作業は終了。
この子がやがて大きくなった時、この小さな手形に自分の手を合わせて何かを感じてくれたら嬉しいですねっ。