今年も相変わらずあることないことの当ブログも色々ありました。。。
春頃には「遠い記憶に」で書いたようなことがあったり、秋には「幻日」の写真が取り上げられたりで
両方ともたまたまNHKで、片やその番組でたまに観る監督さんと電話で何度か話し、片や夕方のTVで
観る女子アナウンサーの方と電話で話したりで、何か不思議な感じもしたり。。。
そんなことより、今年はコレですかねぃ・・・。
26年間のレギュラー参戦で数々の記録を打ち立て、バレンシアで現役生活に終止符を打とうとした日、
土花亭の玄関の土間にあまり見掛けない蛍光イエローの毛虫が現れる。
ドクガ科リンゴヂクガの幼虫(因みに毒はない) 毒はなくても彼の若い頃は「挑発」という得意な技があった。
その挑発にのってしまうと、まんまとその餌食となってしまう。
そのいい例が1997年の日本GP、鈴鹿のレストラン「Campanella」での夜の出来事。
未だGP参戦2年目で125ccクラスで走っていた18歳のロッシが、1クラス上の250ccクラスを走る同じイタリア人で8歳も上の
26歳のビアッジを挑発。その年のロッシは125ccクラスでチャンピオンを獲り、同じくビアッジも250ccクラスでチャンピオンとなる。
そして、2000年から例の最高峰クラスでの両者のコース内外を問わないバトルが始まる。
その後の戦歴についてはここで書くに及ばないであろうけど、不思議と日本での出来事が彼のライダー人生に関りを持つ。
前記は鈴鹿でのこと、そして今度は2008年第15戦茂木での出来事。
優勝でシーズンチャンピオンを決めた後のピットボックスで当時、未だ11歳の異父弟ルーカを抱きかかえながら
彼はこう言っている。「弟がモトGPに昇格するまでは、僕も現役を続けたいと思ってるんですよ。」
「ルーカが昇格してきたら、1年間鍛えてやって・・・そうしたら、僕は引退しますよ。」
13年前に彼はちゃんと言ってるんですよねっ、自身の引退について。
写真は2012年、「DUCATI GP12 ロッシ仕様」をコピーしたつもりの我らが「CAMERATA GP12機」
そんな、一つの時代が終わった2021年も残りわずか。今年もあることないこと好き勝手にこの場で書きましたが
時としてみなさまに不快な思いをさせてしまったことも有ったかと思い、ここにお詫び申しあげ
今年この場に来ていただいた皆様に幸おおからんことお祈りし、今年最後ブログといたします。
良い年をお迎えください。