ここは果たして設計事務所なのか?・・・。
土花吉のデスクの傍らでは修理待ちの時計たちが犇めき合う・・・。
「ただのクォーツじゃない」TOCHIGI TOKEI製ムーブメントは再度、手を加え只今ロングランテスト中ということで、
先日の「AICHIとの逢瀬」から一旦、精工舎に戻ったかと思いきや又ですか・・・。今度は「明治」。
困りますねぃ。。。浮気症は。(笑)
実は基本的には精工舎が好きなのですが、ロゴマークや文字盤は明治が好き。
例えるなら、顔は「明治」が好きで、性格は「愛知」。でも、やっぱ「精工舎」が好き。(何じゃそりゃ!)
当時、「明治時計」というと「精工舎」や「愛知時計」よりも価格を抑え、販売されていたと聞きます。
実際、ガラス風防や文字盤、ムーブメントといった所は感じないのですが、木枠(木箱)の造りは
確かに、それらに劣るかも知れませんね。
ところで、この「明治」もいつものように動かない古時計。
凸面ガラスにボーン型針が特徴ですねっ。
早速ムーブメントを取り外し、作業に取り掛かるも、たまに見かけます古い針金。
外しても良いのですが、昔の時計修理屋さんが施したであろう極細針金。障害にならない
場合はあえて残します。(今回も)
そして、軸受けのチェックとクリーニング、油差しのみで可動させます。(アンクルとガンギも問題なさそうで)
でも今回はゼンマイには特に気を付けます。これでもかと言うくらい油を差し、温かい部屋で初動。
ところで、このリン棒を叩くハンマーが変わっていて同時打ちではなく時差打ち。
普通は「ボーン」と叩くところを学校のベルのような「キーン・コーン」と高音と低音を時差で奏でる仕組み。
初めて耳にする時打ちを聞きながら「甦り」成功!。
序でに文字盤も裏技で綺麗にし7時の時報と共に時差調整開始です。
さぁ~お次の時計は?・・・。
先日の「日の出と日の目」の折の時計修理に取り掛かる。
クォーツに少しショックを与え一旦、可動するも秒針は動くものの長針(分針)が着いて来ず時計が遅れる。
早速、ムーブメントの取り外しから。。。アルミ製の文字盤を裏側からシリコンシーリング剤で止めてあるため
一旦、シリコンをデザインカッターで切り離し風防ともども取り外す。
凸面ガラスの風防の内側も汚れが有ったため序でにクリーングし、クォーツ部分も取り外す。
そしてぇ~、ノギスで軸径や軸長を測っているとぉ~?
さぁ~、ここで気付いた「ただのクォーツじゃない」ことを・・・。(悲)
一般的な何処にでも有るような針受け部分が樹脂製のモノではなく、長針受けが金属製で出来ていて
昔の機械式時計の針受けと同じ構造であることが・・・。
メーカーは「TOCHIGI TOKEI(栃木時計)製」。(このメーカー既に存在しません)
「セイコープレシジョン社」に引き継がれているものの、このムーブメントはもう無いのです・・・。
慌てて再度、ムーブメントにシリコンを注入したりブローを吹き掛けたりして文字盤に仮組みしテスト開始。
今のところは長針も短針も着いては来てますが、暫く様子を観てみて怪しい場合はムーブメント交換のため
捜さなくてはいけないので長期戦となります。。。
水平線から日が昇る景色から「日の出」型と呼ばれる置時計。Meiji製の機械式時計ですが
外装の傷みも激しく裏蓋も無い状態で「日の目」も見ずにボロボロの状態で放置されていたモノ。
ムーブメントは柱時計と同じモノですから大きいこと大きいこと。。。水平線の幅だけで60センチ程有ります。
いずれ外装から全てリペイント予定ですが、ひとまず動かすところまで辿り着いたところで、奥能登からの
長旅を終え土花亭に届くは修理依頼の時計。
梱包を開け暫くは長旅の疲れを癒してもらうことに。。。
思い入れのある大切な時計。そんな時計が「日の目」を見ずに埋もれてしまう訳にはいけませんねぃ。
今暫くお時間を頂戴し、「日の目」を見るよう頑張ってみますねっ。イトヤンさん♪
夕方、たまたまガレージに出入りしていた土花吉の前を、勢い良く体勢を斜めにしながら
ドリドリ走って行く軽自動車1台。
「ガッシャン!」 案の定、隣の空き地の擁壁に激突。
雪が積もっていたため、さほどのダメージは無さそうなもののタイヤを引き摺りながらバック。
そして、道路の真ん中で停止でそのまま動かず・・・。
運転席のガラスをノックして声を掛けると、若い女性で少し動揺が観られる。
兎に角、何処かに退避させなくてはと土花亭の前に路駐させエンジンを切ってもらい本人を
土花亭に招き入れる。
土花吉の妻がいれた温かいお茶で気分を落ち着かせ、家族に連絡をとってもらい迎えに来てもらうことに。
暫くすると母親が迎えに来て、「今日は車屋が引き上げに来れない」と困り顔・・・。
多分、夜中に除雪車が除雪に入るだろうし、このまま路駐とは行かず、仕方なく駐車場へ
タイヤを引き摺りながら無理矢理入れることに。
お泊りです。。。バンパーが無残にも脱落したホンダライフ。
ところで、いつ引き上げに来るんだろう・・・。何処の何方かお名前も聞くの忘れてるし・・・。
今年の干支が「巳」だからと言うわけでもないのですが、昨年末「二眼レフ」を触ってから
「中判って面白いやん♪」ってな理由でクラシックカメラの泥沼へ落ちて行く・・・。
今や「フイルムカメラで撮れて、デジタルカメラで撮れない写真などない世の中」何をしようとしてるのか
自分でも分からないのですが、あえて「こじつける」とすれば「120サイズブローニー中判フイルムの
解像度って、ひょっとしてデジカメの画素数を越えているのでは?」な~んて勝手に思ったり。。。
前置きが長くなりましたが「蛇腹」です。「巳年」だから「蛇腹」です。
「カッパ」って呼ぶヒトが居たりもしますが「スプリングカメラ」が正解でしょうか。
聞いたこともないようなメーカーのこのカメラ。どうも戦後ではあるようなのですがファインダーの汚れに
シャッターの鈍りに各リングの固着と、一通りのジャンク条件を兼ね備えています。(何故かレンズは綺麗)
「早速、バラしちゃえ!」の前に肝心の蛇腹の損傷具合を夜になるのを待ち、暗い部屋で
懐中電灯で照らしてチェック。
結果、何と蛇腹自体にピンホールはおろか損傷が無いことが分かり「ルンルン♪気分」でバラバラへ。
拭いては磨き、拭いては磨きを繰り返し何とか「撮れるんでは?」の状態までに。。。
まぁ~、このまま飾って置いても十分、目の保養にはなるのですが、いつもの性格。
「機械は動いてなんぼ」。「カメラも撮れてなんぼの世界やろぉ!」で?、いつか撮ります。
撮ってみせます!
確かにヒト一人、それも将来のある若者が自ら命を絶ったことは、あまりにも重い。
しかし、この維新を名乗る首長の行動というものが、ある意味「体罰」にも似た「いじめ」にも
見えて仕方が無いのです。それも「陰湿」な。。。
「体罰」については、ここで申し上げるつもりもございませんが「今と昔」とでは先生も生徒も
育った時代や環境の違いによる「質」や「性格」も違うことは確か。
以前、一度だけ母校の教壇に立った折も、自身の高校生の時と比べると何かが違って感じたのも確か。
(5年程前の虚ろ立つ。。。)
講義の後、教員室で先生方と「建築教科」について色々と、雑談をしていても「威厳」というものは
正直、感じることが出来なかった。
後日談として当時、色々と先生方に注文や要望を言ったせいか「某設計事務所の〇〇さん(土花吉)は
厳しい意見を言う怖いヒト」という風評にも似た噂が、高校(工業高校)の建築科教員の話しとして
人を通じて耳にしたことがある。(5年近く経った今でも耳に入ることがある)
当時、建築を学ぶ生徒のためを思い先生に意見したことが「厳しい」とか「怖い」と感じとられて
しまう現実。
それも生徒にではなく先生に。。。
教育とは「教え育てるもの」とは言うけれど、生徒によって逆に教えられることもある。
今回も在校生が記者会見まで行い、泣きながら意見を述べていたようですが
維新を名乗る首長が聞く耳を持たぬとも先生方は聞く耳を持ち、生徒と同じ立場で物事を
考えて頂きたいものです。一緒に悩み苦しみ。。。
出てくるのは首長や教育委員会の顔だけで、先生の顔が一切出てこないことに不思議さを
感じるのは私でけでしょうか・・・。
日々、出来るだけ物事を「マイナス」に考えずに「プラス思考」で行こうと努力はしていますが・・・。
そんな「プラス」ではなく、「マイナス」のお話し。
今時「マイナスネジ」など必要もなく、先ずは入手出来ませんよねぃ・・・。
戦後、「マイナス頭」しか無かった時代に「プラス頭」が日本に伝わった時、技術者たちは相当な
衝撃を受けたとか。
(私の記憶では日本に伝えたのは、かの「本田宗一郎」だったと記憶しますが、間違っていたらゴメンナサイ)
そりゃ~「トルク」の掛け難い「マイナス」なんかより、自然とセンターにドライバーが入る「プラス」の方が
絞め易いし多少、斜めにドライバーが入っても絞めることが出来る。それに、何と言っても「なめ難い」。
しかぁ~し! アレなんです。
時代に逆行し、「古いモノとの新しい出会い」をしている土花吉にとっちゃ~「マイナス」でなくては
いけない時があるのです。
昔の機械(道具)類は先ず「マイナスネジ」。ゼンマイ式機械時計や古いミシンを直す上で必要なのです。
今までも行きつけの隣県の金物屋で入手したりもしていたのですが、そこも在庫が無くなり
どうしようかと悩んでいたところ先日、小浜に訪れた時にたまたま古い金物屋で見付けて
そこで譲って頂くことに。
種類は4種類。真鍮ネジに鉄ネジ。
お店にある「マイナスネジ」全てを「大人買い」です。。。1コイン(¥500-)だったけど。(笑)
昨年の桜の咲く頃、yamasadaさんとのエスとヨタで朽木鯖街道の折、たまたま発見した「宝の山?」。
その後、再度訪れようと思いつつも中々、その機会がなくこの日、冬の晴れ間に意を決して
商談までするつもりで、隣県の山奥を訪れる。
何とか、「宝の山」に到着しその「お宝」を確認しようとするも?・・・「無い・・・」
昨年の春には有った筈のコレ(初公開) ↓ が?
「無ひ・・・」 2台とも消えて無くなってる・・・。
オマケに「何じゃこりゃ~」だったバイク達も(初公開)・・・。
「無ひ・・・」 綺麗に消えて無くなってる・・・。
所有者であろうと思われるお宅まで訪ね、話を伺うと?「昨年の夏、全部処分してしまった」とのこと。
「ショック・・・」 宝の山、ヨタ2台が何処かへ・・・消え去った・・・。
2時間も掛け、山奥まで辿りついたのに・・・。
アンタなんかに会いに来たのではなく、ヨタに会いに来たのですが・・・。