ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
心惹かれたものを紹介しています。
よかったらおつきあい下さい。

ぐるっと瀬戸内 アートな旅①~直島(美術館)

2022年10月22日 | お出かけ
以前から一度は訪ねたいと思っていた香川県直島(なおしま)に行ってきました。当初は、しまなみ海道や瀬戸大橋を渡るドライブルートを計画したのですが、かなり時間がかかりますし、島々の往来や帰路のフェリー代金も高額だったので、新幹線での移動に変更。時折、小雨がぱらつくあいにくの空模様の下、次第に回復するという予報に期待しつつ、小倉駅からのぞみ8号に乗り込みました。


岡山で瀬戸マリンライナーに乗り換え、直島行きのフェリーが発着する宇野駅へ。マリンライナーは先頭車両だけ2階構造になっていて、2階はグリーン車、1階は指定席。3連休最終日ということもあり、新幹線・マリンライナーとも指定席にしておいてよかったです。


岡山県宇野港と直島宮ノ浦港を結ぶフェリーの船内。インバウンドの回復傾向を受けてか、外国人のグループも何組か見かけました。


直島到着後、フェリー発着場の正面にある「おうぎや」で、予約していたレンタサイクルをピックアップ。荷物を預けると無料でホテルまで運んでもらえるので、身軽な状態で島内サイクリングに出発できます。直島は一周14㎞とコンパクトな島。レンタカーや町営の路線バスもありますが、天気さえよければ自転車がベストマッチなサイズ感です。(アップダウンもありますので、電動アシスト付きがお勧めです)


直島の南半分を右回りにぐるっと回って美術館地区へ。つつじ荘近くの空き地に自転車を止めて、ベネッセミュージアムの無料シャトルバスに乗り換えます。(図の青線部分はベネッセアートサイト直島の敷地で、町営バスや自転車などの乗り入れができません)


【美術館地区】
まず最初に訪れたのは、直島での一番の目的である地中美術館。クロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルと、たった3人のアーティストの作品を恒久展示する一風変わった美術館です。日本を代表する建築家、安藤忠雄氏の設計によって生まれた地中美術館は、瀬戸内の美しい景観を損なわないよう、構造物の大半が地中に埋められた、自然と一体化した造り。地中にありながら自然光が巧みに採り入れられたこの建物自体も、ひとつの芸術作品と言われています。直島には、安藤忠雄氏が設計した建築物が数多くあり、ひと際大きな存在感を放っています。(写真はHPより)


チケットセンターから美術館へのアプローチ。坂道を上ったところに小さな入口があります。入場には、日時指定の予約チケットが必要です。


展示室を移動する通路。上の写真で手前に見える四角い開口部で、入館後外界と接するほぼ唯一の場所です。


館内は撮影禁止ですので写真はありません。数は多くありませんが、どれも深く印象に残る素晴らしい作品でした。地中美術館のHPをご覧いただければ、雰囲気が少し伝わるのではと思います。
《クロード・モネ》
絵と空間が一体化した部屋に、モネ晩年の『睡蓮』シリーズ5点を展示。やわらかな自然光で観られるよう設計されたこの部屋は、パリ・オランジェリー美術館の『睡蓮』専用展示室、オーバルルームにも似た雰囲気を湛えています。
《ウォルター・デ・マリア》
神殿を思わせる階段状の大空間に、巨大な花崗岩の球体と金箔を施した27体の木彫の柱。大きく開口した天井部から自然光が降りそそぎ、時間とともに空間の表情が変化します。
《ジェームズ・タレル》
人間が「光」をどのように認知し、知覚するかを作品を通じて体験させるジェームズ・タレルの作品3点を展示しています。それぞれに特徴があり不思議な体験でしたが、最も心惹かれたのは『オープン・フィールド』。独特の青い光を放つ四角い壁(実は空洞)に足を踏み入れると、目の前に全く遠近感のない不思議な空間が無限に広がっているような錯覚に陥ります。言葉で伝えるのは難しく、足を運んで体験するしかない作品です。このほか、『アフラム、ペールブルー』や『オープン・スカイ』も印象的でした。

チケットセンターから美術館への道路の脇に設けられた「地中の庭」。モネが晩年を過ごしたジヴェルニーの庭にあった植物をベースに、約200種類の草花や樹々が植えられており、四季折々の表情が見ることができるそうです。


続いて訪ねたのは、今年3月にオープンしたばかりのヴァレーギャラリー(Valley Gallery)。地中美術館と同じく、安藤忠雄氏の設計による半屋外建築物で、二重の壁で仕切られながらも外界と遮断されておらず、雨や風、光などの自然を感じられる造りとなっています。


庭や建物内部に展示されているのは、草間彌生さんの『ナルシスの庭』。


大量のミラーボールを敷きつめた『ナルシスの庭』は、1966年のヴェネチア・ビエンナーレで発表され、世界的な注目を集めた作品です。
このほか、写真はありませんが小沢剛氏の『スラグブッダ88 ─豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏』も、屋外に恒久展示されています。


こちらは、道路を挟んでヴァレーギャラリーの向かいにある李禹煥(リ・ウファン)美術館。韓国慶尚南道出身の李禹煥氏は国際的に高い評価を得ている現代美術家で、日本を拠点に欧米などで活動する傍ら多摩美術大名誉教授を務めておられます。


黒い鉄板を挟んで二つの石が置かれた『関係項-対話』
手を加えるのは最小限に留め、ほとんど自然な素材を用いるのが、李禹煥アートの特徴だそうです。


緩やかな曲線を描く鉄の杖が石の上に置かれた『関係項-休息または巨人の杖』。


全長25m、高さ10m、幅15mの大きなステンレスのアーチと石で構成された『無限門』。アーチの下には同じ大きさのステンレス板が敷かれています。アーチが作る影が印象的だったので、逆光を避けてこのアングルから撮りましたが、反対方向には瀬戸内海の美しい景色が広がっていました。
この作品のお披露目式で李禹煥氏は、「この門をくぐるたびに、空が広く見える、海が爽やかに感じられる、あるいは山が新鮮に映るなど、いろいろな感覚があると思う。そういう意味で『無限門』という名を付けた」と、その名の由来について語られたそうです。


瀬戸内海を望む小高い丘の上に建つベネッセハウスミュージアム。「自然・建築・アートの共生」をコンセプトに安藤忠雄氏が設計した、美術館とホテルが一体となった施設です。


リチャード・ロング『瀬戸内海の流木の円』(1997年)
ロング氏が直島滞在中に島を歩き、拾い集めた流木を使って、ここベネッセハウス ミュージアムで制作した作品です。
アーティストが現地に足を運び、その場所のために制作した作品を"サイトスペシフィック・ワーク"と言うそうですが、直島にはそんな作品が数多く恒久設置されています。アーティストたちが直島の自然や風景、建築物と向き合い、触発されて生まれた作品。それらを辿るのが、直島めぐりの一番の楽しみだろうと思います。


ジェニファー・バートレット『黄色と黒のボート』1985年
水辺の風景に描かれた黄色と黒のボート。同じ色のボートがその前に置かれています。私は見ていませんが、このボートは海岸に降りたところにも設置してあるそうです。


ミュージアムカフェの大きな開口部から見える瀬戸内の島々。


そんな風景に惹かれてテラスに出てみました。実に穏やかで、のどかな瀬戸内海。海岸線もきれいです。


【島内散策】
車も多くないので、自転車を漕ぐのも快適でした。


四周を海に囲まれた小さな島を吹き抜ける心地よい潮風。


電動アシスト自転車は想像以上にらくちん。妻も風を切って颯爽と走っていました(笑)


三島喜美代『もうひとつの再生』
木々に囲まれた池のほとりに忽然と現れる巨大なゴミ缶。高さは優に3mはあるでしょうか。環境問題に対するメッセージを取り込みながら制作を続ける三島喜美代さんの作品です。


そのすぐ横には『桜の迷宮』。人々が集い、憩いの場になるようにとの願いを込めて、約130本のオオシマザクラの苗木が植えられました。春には見事な景色を見せてくれることでしょう。


道路沿いに咲いていたコスモス。


直島の宮浦港から本村を経由してつつじ荘まで走る町営バス。草間彌生さんの黄かぼちゃが描かれた、ポップで可愛らしいバスです。


水玉模様のレンタサイクルもありました。


直島ではレンタカーまでプチアート(笑)


宿泊したホテルの前で、のんびり日向ぼっこする猫たち。


写真を撮っているとすり寄ってきます。もともと犬派の私ですが、こんなに人なつっこいと、なかなかこの場を離れられません (^-^)ゞ


ホテルの廊下に飾られた草間彌生さんのポートレート。直島在住の作家さんの作品だそうです。絵筆ではなく、ビーズのようなもので描かれていました。


瀬戸内をめぐるアートの旅、まずは直島からスタートです。次回は、直島の町の中を散策します。
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秋色の京都・奈良~嵐山

2021年12月07日 | お出かけ
およそ20年ぶりに訪れた京都・奈良のぶらぶら散策、最終日の午後は嵐山。天龍寺や竹林の道などを見て回りました。


保津川下りの舟を降りて、川沿いに渡月橋に向かいます。


渡月橋より少し上流側にある堰。後ろの紅葉した山が嵐山ですね。
地図を見ると、このあたりは「保津川」ではなく「桂川」と記載されていて、こちらの方が川全体の正式名称だそうです。長年、地域の生活に密着してきた川だけに、「桂川」という統一名は上流地域では馴染めないらしく、いまだに場所によって「上桂川」「保津川」「大堰(おおい)川」「桂川」と、その地域によって使い分けられているのです。保津川と呼ぶのは、亀岡流域の保津地区から保津峡の区間に限ってのことで、嵐山に入ると渡月橋の下流までは大堰川なのだとか……。京都を知らない私には難しすぎです(笑)
以前の記事で書きましたが、川の名前が変わるのは、「賀茂川」が高野川と合流した以降は「鴨川」と呼ばれるのと似ています。しかも、桂川は伏見付近でその鴨川と合流し、更に大阪と接するあたりで宇治川、木津川と合流して淀川となって大阪湾に注ぎます。


桂川右岸、下流側から見た渡月橋。
鎌倉時代、満月の晩に舟遊びされた亀山上皇が、月が橋の上を渡っていくかのような様子を見て「くまなき月が渡るに似る」と詠まれたことから「渡月橋」と呼ばれるようになりました。


渡月橋から続く通り(県道29号)を少し離れると、人の流れも減って静かな裏道。カフェなどの庭やお寺の境内の木々を眺めながら歩くことができます。


山吹色に色づいた大銀杏。この付近、土塀や石垣が印象的な道が続きました。


渡月橋から歩いて20分ほどで天龍寺に到着です。
写真左側の建物は、明治32年(1899年)建立の庫裏(くり)。七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持っています。


中央の曹源池を巡る池泉回遊式の曹源池庭園。約700年前の作庭当時の面影を留めると言われており、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。
諸堂(大方丈・書院・多宝殿)も入ってみたかったのですが、夕方までには京都駅に戻らなければならなかったので、庭園だけ見せていただくことにしました。


暦応2年(1339年)に創建された天龍寺の開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として、長らく京都五山の第一位とされてきた天龍寺は、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
写真は、釈迦如来坐像をお祀りする大方丈。国の重要文化財に指定される釈迦如来像は、天龍寺の創建よりも遥かに古い平安時代後期の作で、天龍寺が受けた8回の火災にも焼失しなかったそうです。


裏山の斜面を利用した、立体感と奥行きを感じるつくりとなっています。写真には写っていませんが、背後に嵐山をいただく曹源池庭園は、池泉回遊式であると同時に、四季折々の表情を見せる嵐山を借景を取り入れた庭園でもあります。


庭園の至るところでもみじが色づいていました。


木々の足元には杉苔がびっしり。


天龍寺を北門から出て、左に進むとすぐに、数万本の竹が生い茂る竹林の道に出ます。竹は空が見えなくなるほど背丈が高く、見上げると覆いかぶさってくるよう。ほとんど空も見えず、竹のトンネルを歩いているような錯覚に陥ります。


人の数の割に静かな竹林の小径。杉苔には吸音効果があるそうですが、竹林もここまで密集すると、音響を取り込んでしまう効果があるのかもしれませんね。 


竹林の道を後にてくてく嵯峨嵐山駅まで歩いて、嵯峨野線で京都駅に戻りました。帰りの列車まで少し時間があったので、京都タワーに上ってみることに……。京都タワーはすぐそばに東本願寺があることから、「お東さんのろうそく」とも呼ばれるそうですが、京都の街を照らす灯台をイメージして建てられたのだそうです。


京都駅から真北に延びる烏丸通り。「今朱雀」とも呼ばれます。左に見えるのが、その東本願寺ですね。


京都タワービル1階の辻利で、ひと息つくことにしました。


私は京ラテ濃茶を、妻は京ラテ スムージー 八つ橋を注文。


あんこに生八つ橋のトッピングなんて、いかにも京都らしくていいですね~♪
実は、このあと事件が……。私が妻のスムージーを倒して、トッピングのクリームやあんこ、生八つ橋をぶちまけてしまったんです💦
改めて注文しなおそうとしたのですが、スタッフの女性が「もし差し支えなければ……」と、トッピングをもう一度作り直してくれました。テーブルを汚してしまっただけでも本当に申し訳ない思いだったのに……。旅の最後に心温まる経験をしました。

帰りの車内では、京都駅で買った柿の葉寿司をつまみ、旅の思い出をたどりながら、ゆったりと家路につきました。
京都・奈良の秋旅もこれで終わりです。長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました~ (^-^)ゞ
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秋色の京都・奈良~トロッコ列車と保津川下り

2021年12月05日 | お出かけ
寄り道が多くて間が開きましたが、京都・奈良の旅、最終日は嵐山です。
まずは、京都駅みどりの窓口でトロッコ列車のチケットを購入……するつもりだったのですが、当日分はまさかの完売。前夜、ネットで確認した時は十分余裕があったので、当日で大丈夫と高をくくっていたのが失敗だったかも……。意気消沈しながら、とりあえずJR嵯峨野線で嵯峨嵐山駅に向かいました。


JR嵯峨嵐山駅に到着後、すぐに隣接するトロッコ嵯峨駅へ。ダメもとで駅員さんに聞いてみると、「大丈夫です。まだありますよ~」ということだったので、すぐ行列の最後尾に並びトロッコ列車と保津川下りのチケット、運よく両方ゲットできました。


嵯峨野トロッコ列車。これが最後尾の5号車で、この車両だけ窓ガラスがなく、より自然に近い雰囲気を味わえると人気があるそうです。


こちらは私たちが乗る1号車。先頭車両ですヽ(^o^)丿


しかも、一番前のボックスで進行方向の座席。一旦は乗れないと諦めたトロッコ列車なのに、一番いい席に座れたみたいです~♪


乗車確認、安全確認して-出発進行!


終点のトロッコ亀岡駅まで3つの駅に停まりますが、一番最初に停車したのは嵐山駅。先頭車両はトンネルの中でした (^-^)ゞ


保津川の流れと山々の紅葉を眺めながら、トコトコ走ります。線路は、概ね保津川に並行して走っていますが、途中で一度だけ、保津川を渡って左右が入れ替わります。


線路沿いの木々は、目の前を流れるように過ぎていきます。


亀岡駅に着くころには、周囲は朝霧に包まれていました。亀岡市は四方を山に囲まれた盆地で、秋から春にかけては「丹波霧」と呼ばれる濃霧が頻繁に発生するのだそうです。
ここからはバスで、保津川下りの乗船場に向かいます。


楽しみにしていた保津川下り。バスを降りたら乗船手続き。その後、ほとんど待ち時間なく、スピーディに乗船場に案内されました。


霧が烟る桟橋を通って舟へ。


軽妙な語り口で保津川下りを満喫させてくれた船頭さん。
保津川下りの歴史は古く、京の豪商 角倉了以(すみのくらりょうい)が江戸初期の慶長11年(1606年)、木材や薪炭などの丹波地方の産物を都へ送るために、産業水路として開拓したのが始まりだそうです。


舟には3人の船頭さんが乗り組みます。船首で長い竿を操る「竿さし」は川底や岩に竿をさして、舟を押したり進行方向の微調整をします。木製のオールを漕ぐ「櫂ひき」は舟のエンジンで、旅の案内役でもあります。そして後方には、舟の進路を決める「舵とり」。何度かポジションチェンジしながら下っていきます。私たちは運よく一番前の席だったので、前方二人の船頭さんの動きがよく見えました〜♪


時には、狭い岩場をすり抜けて進みます。前に見えるのはJR嵯峨野線の鉄橋。


その鉄橋に列車が差し掛かりました。


川面から見る紅葉もきれい。


船頭さんが「スヌーピー」と呼ぶ岩。たしかに雰囲気が似ていますね。


江戸時代から400年に亘って、船頭さん(掉さし)が同じところを竹竿で突いて穿った穴。赤い丸で囲った二つのほかに、この先にもう一つありました。


ときどき、流れの急な瀬を通過し、そのたびに舟の中で歓声が湧きおこります(笑)


(短いですが、川下りの様子を動画で撮ってみました)


川面から眺める紅葉もいいものです。


トロッコ列車とすれ違い。お互いに手を振りあって、一体感が高まりました(笑)


保津川下りは、その時々の川の水位によって所要時間が変わります。私たちの時は水量が少なかったので、2時間くらいかけてゆったりと川下りを味わえましたが、夏場の水量が多い時は1時間程度で終わってしまうこともあるそうです。


船着場に近づくと川幅が広くなり、一艘の舟が近づいてきました。いったい何でしょう……?


これは川の中のコンビニのような舟で、おでんやイカ焼き、飲み物などを販売しているんです。面白い趣向ですね~♪


私たちも、川風を浴びながら団子を味わいました。
食べ終わる頃には、舟は船着場に到着。緩やかな流れの中に、時に急な瀬や段差を越える2時間の保津川下りもこれで終了です。川下りは、岐阜県木曽川の日本ライン下り以来。いい経験しました〜♪


渡月橋近くの船着場に着いたのがちょうどお昼どきだったので、通りがかりの蕎麦屋さんでランチにしました。
こちらは、京地鶏の天ぷらやとろろなどが付いた京地鶏そば。ボリュームたっぷりでしたよ〜。


京都に来たときは食べたいと思っていたにしんそば。数十年ぶりです (^-^)ゞ
しっかり煮込まれた身欠きにしんが、蕎麦や蕎麦つゆの味わいを深めてくれました。

午後はこの周辺をぶらぶら散策。次はその様子をアップして、京都の旅を締めくくりたいと思います。
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秋色の京都・奈良~京都府立植物園

2021年11月30日 | お出かけ
京都街歩き、二日目の午後は府立植物園に出かけました。京都駅前から乗ったバスは、けっこう大回り。でも、40分くらいかけて京都の街並みをたっぷり楽しめましたから、地下鉄よりもよかったかもしれません (^-^)ゞ


200mも続く常緑のくすのき並木。植物園の開園(1924年)当初に植えられたもので、樹齢ほぼ100年の大樹が並ぶさまは壮観です。私は読んでいませんが、川端康成の『古都』には、このくすのき並木がたびたび登場するそうです。


花壇で咲き乱れていた千日紅。こんな花壇がふたつ、ふんわりとした優しさを湛えていました。


美しく黄葉した温室前の大銀杏。前のベンチで自撮りする人も多かったです。私も頼まれて、何度かシャッターを押しました〜(笑)


樹木の種類が多いので、赤や黄色、褐色など様々な紅葉を見ることができました。




はす池の周りでは、三脚を立てて写真を撮る人がたくさん。木々の色づきや苔むした地面が、幻想的な雰囲気を醸しだしていました。

🍀


この日の夕食は、京都駅地下街ポルタの萬重で。「京料理」という名前に惹かれて入りました。本店は西陣にあるそうです。

ポルタ店では、西陣 萬重の味を手軽に味わえるということでした。


京都の街を南北に流れる鴨川……府立植物園付近では「賀茂川」と表記されていたので、気になって調べてみると、高野川と合流した以降は「鴨川」ですが、それよりも上流側では「賀茂川」と呼ぶのだそうです。知らなかったなぁ…… (^-^)ゞ

南北に走る寒冷前線が、西日本から東に進んでいます。北九州でも、前線が通過する時間帯は雷鳴が轟き、叩きつけるような雨が降りました。これから明日にかけて、各地で荒れた天候になりそうですね。気温もぐんと下がりそうですので、注意してお過ごしください🎶
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秋色の京都・奈良~清水寺・三十三間堂

2021年11月28日 | お出かけ
京都・奈良の旅二日目です。天候に恵まれて、かすかな秋風が気持ちのよい散策日和でした。


この日の京都観光は、清水寺からスタートしました。バスの一日乗車券を使って、バス停「清水道」で下車。清水坂を上り、仁王門をくぐって清水の舞台に向かいます。
ご本尊に十一面千手観世音菩薩を戴く清水寺は、宝亀9年(778年)の開創で山号は音羽山と言います。「清水」の名は、音羽の滝に流れる霊泉に由来して名付けられました。長く法相宗総本山の奈良・興福寺の管轄下にありましたが、昭和40年(1965年)に離脱し、南都奈良に対して北の京都に位置する『北法相宗 清水寺』として独立したそうです。


檜皮葺の優美な曲線が美しい、本堂の屋根に日が差してきました。奥の院を過ぎたこの辺りからだと、本堂だけではなく三重塔まで見渡せますね。


清水寺境内、本殿のすぐ裏手にある地主神社。主祭神は、縁むすびの神として有名な大国主命です。
明治政府が神仏分離令を発するまでは、日本古来の八百万の神々と大陸伝来の仏様が融合し、ともに敬う日本独特の「神仏習合」が一般的でした。清水寺の境内に地主神社という配置は、この「神仏習合」思想がとりわけ顕著に表れた形だと言われています。


地主神社で人気のある「恋占いの石」。占いのやり方は、二つの恋占いの石(距離約10m)の一方から、目を閉じたままもう一つの恋占いの石までたどり着けば恋が叶う、というもの。私も20年前に挑戦しましたが、見事に失敗しました (^-^)ゞ
ちなみにこの石、米国の原子物理学者の検証によって、縄文時代以前のものと判明したそうです。地主神社の創建が神話時代に遡るという社伝も、単なる伝承とは言えないのかもしれませんね。


清水寺を出てすぐの八ツ橋店に立ち寄りました。


作りたての八ツ橋(栗入りの黒あん、抹茶あん、生八ツ橋)と、かぐわしいお茶の香りでほっと一息つきました。
まるごと栗が入った八ツ橋は商品として販売していないので、店内でしか食べられないそうです。


清水坂と産寧坂が交わる七味屋本舗で七味を購入。この七味は、山椒が効いていて好みなんです。


産寧坂から八坂通りを下っていきます。振り返れば八坂の塔。石畳の坂を上る人力車。いかにも京都らしく、しっとりとした佇まいですが、人力車夫さん泣かせの急坂です。


昔ながらの風情が残る八坂通りで、美男美女のカップルが結婚式の前撮り中でした。


東大路通の歩道に埋め込まれた道案内標識。ここから再びバスに乗って、三十三間堂に向かいます。


平安時代後期、後白河法皇が平清盛の助力を得て創建した蓮華王院本堂は、本堂内部の柱間が「33」あることから「三十三間堂」と呼ばれます。高さ16m、奥行き22m、南北120メートルもある本堂は、整然と落ち着いた日本建築の美を感じさせます。


お堂の中央には、「中尊(ちゅうそん)」と呼ばれる千手観音座像が安置されていますが、「33」という数はこの観音菩薩の変化身33身に由来しているそうです。


本堂の中には、中央の千手観音座像の左右に、十段の階段状に千体の観音立像が整然と並び、その前には二十八部衆に風神・雷神を加えた30体の像が安置されています。圧倒的な存在感ですが、決して威圧的なものではなく、慈愛で包み込むような空気感が感じられました。(写真は、蓮華王院 三十三間堂HPからお借りしました)

🍀


旅先では朝昼晩の食事も楽しみのひとつですよね。そこで、京都らしい朝食で一日のスタートを……と、「朝食 喜心 Kyoto」や「旬菜 いまり」などをはじめ、前夜のうちにいろいろ当たってみました (^-^)ゞ
ところが、目星をつけたお店は何処も予約で満席。そこでこの日の朝は、予約制ではない四条烏丸近くの「京菜味 のむら」でいただくことに……。”のむら”は、野菜を中心とした選べるおばんざいの店です。朝7時の開店に合わせて行ったのですが、店の前にはすでに20人近い行列ができていました (^^;)


温かいおばんざい5種と冷たいおばんざい6種から、好きな小鉢を6種類ずつ。ご飯は、白米か雑穀米を選べます。


ご飯は、湯葉丼に変更することもできました(プラス200円)。


たっぷりの湯葉に柚子の香り。美味しかったです~♪


お昼は、京都駅近くの京野菜の店、接方来(せっぽうらい)へ。
ひとつは、おばんざいや天ぷら、ご飯、赤だしなどがセットになった、かご盛り旬菜膳 大原を注文。


季節の炊き込みご飯。ふっくらと炊き上がっていました。


かごに盛られた小鉢のおばんざい6種。


このほか、京生麩の田楽などを単品で頼みました。
田楽は、栗麩・玄米麩・よもぎ麩・胡麻麩・萩麩の5種。好みで木の芽味噌・ふきのとう味噌・白味噌をつけていただきます。


わさび醤油で食べる京生麩と湯葉の造り。生麩も湯葉も大好きなので、こんなメニューは外せません。


鴨と九条ねぎの釜飯。鴨とねぎの相性がいいのはもちろん、九条ねぎの香りと旨みが強くて美味しかったです。


デザートは、バニラアイス 丹波黒豆添えと、祇園辻利の抹茶アイスにしました。

平安時代に創建された三十三間堂は、建慶長元年(1249年)に焼失してしまい、私たちが見ているのは、鎌倉時代・文永3年(1266年)に再建されたものです。今の姿からは面影をたどるのは困難ですが、当時の本堂内部は極彩色で飾り付けられていたそうです。ちなみに三十三間堂は、本堂のみならず、本堂に安置される仏像すべてが国宝に指定されています。
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