ルイガノ旅日記

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吉野ヶ里遺跡 & 西国御領 風羅坊

2016年11月27日 | お出かけ
九年庵から車で15分ほどのところに、神埼市と吉野ヶ里町にまたがる、わが国最大の遺跡である吉野ヶ里遺跡があります。紀元前4世紀から紀元3世紀頃まで、およそ700年も続いたとされる弥生時代。その長い時代のすべての時期を通じた遺構・遺物が発見され、謎に包まれたわが国古代の歴史に光を当てることとなった吉野ヶ里遺跡は、発掘調査の終わったところは、再び土で埋め戻して保護した上で、当時の環濠や建物を再現して、およそ100haに及ぶ広大な吉野ヶ里歴史公園(国営部分と佐賀県が管理する部分が一体となった公園)として整備されています。


再現された弥生時代の遺構は、王や貴族の住まいであった「南内郭(みなみないかく)」、一般の人々が暮らした「南のムラ」、特産品などの取引を行った市場や倉庫が集まった「倉と市」など、さまざまなゾーンに分かれていますが、今回は、重要なことを決定する、祀りごとの場であり、吉野ヶ里遺跡のなかでも最も神聖な場所と考えられている「北内郭」を見学しました。周囲は、2重の環濠で厳重に防備されています。


北内郭のなかでも、最も大事な施設であった主祭殿。田植えや稲刈りの日取りなど重要な事柄を決める会議や、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした建物です。


2階部分では、王や貴族たちによる会議の模様が再現されています。


3階は、最高司祭者が神のお告げを聞いたり、重要な儀式を行った場所と考えられているそうです。


北内郭から近い「祭りの広場」では、赤いそばの花が満開を迎えていました。


そばの花は白いものだと思っていましたが、赤い花もあるんですね~♪


季節はずれの桜も咲いていました。


吉野ヶ里遺跡を後に、背振山麓沿いに佐賀と福岡を結ぶ三瀬街道へ。このあたりは、良質の水が湧き出ることから、蕎麦の名店が多く、別名「三瀬そば街道」として知られています。この日は、ネットを検索して見つけた「西国御領 風羅坊」を訪ねました。


いろんな蕎麦料理を楽しめるそば会席を注文。最初にに出されたのは、蕎麦の風味が良いそば豆腐と、キュウリの柚子もろみ。


日によって産地は変わりますが、この日は、北海道産の新蕎麦でした。


冷たい蕎麦だけではなく、温かい蕎麦もメニューに含まれます。


蕎麦がきは、きな粉やぜんざい、そばつゆの3種からチョイスします。これは、きな粉がけ。


ぜんざい仕立ては栗入り。


私はもちろん、王道のそばつゆで・・・・・・。妻も母も私もそれぞれ、自分が頼んだ蕎麦がきが一番美味しいと主張していました(笑)


帰り道、佐賀と福岡の県境付近で見つけた、完全に落葉したイチョウの木。この日のドライブでは、くっきり濃い黄色に染まるイチョウをあちこちで見かけたのですが、どれも道路から遠く離れていて、近くで見ることができなかったので、せめて落ち葉でも、と思って撮ってきました(^_^*)


早いもので来週は12月。年をとるにつれ、月日の流れが少しずつ早くなるような気がします。毎年、年の瀬になると同じような感想を抱くなんて、進歩がありませんね~(笑)

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西国御領 風羅坊そば(蕎麦) / 佐賀市その他)
昼総合点★★★★ 4.0

コメント (4)
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