平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

相棒 「消えた乗客」

2009年12月10日 | 推理・サスペンスドラマ
★人は何か喪失感を抱えて生きている。
 「これがあれば幸せになれるのに」「これがあれば満足できるのに」
 それは、お金であったり、地位であったり、恋人であったり。
 今回の犯人の場合は愛する人。
 愛する人が失われてポッカリ空いた穴をを埋めるために復讐を計画した。
 計画、実行している間は少なくとも心の穴は埋められますからね(錯覚ではありますが)。
 また普通の人はその穴を別の愛する人を見つけて埋めるわけですが、犯人がそれを出来なかったのは、その失われた人を心から愛していたからでしょうか。
 心の中の喪失感。
 それが何かを突きつめて、埋めるために何をすべきかを考えて生きていくことは大事ですね。

★さて今回のトリックは<犯人と共犯者が架空の物語を作り上げる>というもの。
 現在の事件で言うと、押尾容疑者の事件が近いですね。
 <被害者の女性からクスリをもらった><被害者の女性を助けようとして心臓マッサージを行った>
 他に目撃者がいないのだからいくらでも物語は作れる。
 まあ、今回の「相棒」の場合は<バスの乗客消失>というショッキングな出来事と掛け合わせて、視聴者の興味をそそる内容になっている。
 ただ話として作りすぎの部分は否めない。
 目的の男を捜すのなら、名前はわかっているわけだし、普通は探偵を使いますよね。
 探偵を使っても見つけられなかったということでしょうが、それにしても<バス乗客拉致>という出来事が大掛かり過ぎる。
 背後に殺害の意思があったとはいえ<バス乗客拉致>の目的は<人捜し>ですからね。
 動機と実際の事件のギャップが大きくて、あまりリアリティを感じない。
 またバス運転手は釈放された男を尾行するわけですが、尾行が失敗するかもしれないし不確定要素が多すぎる。
 ラストのひねりも強引かな。
 あじさいの花束の<from M>。
 花言葉からMがもうひとりのイニシャルMの人物であると分かることはいいが、人間関係の部分が複雑になり過ぎ。

★ところで今回は神戸(及川光博)がチェスの達人であることが判明。
 神戸の人物設定がひとつ加わった。
 「相棒」は複数の作家さんによる競作ですが、こうした設定を統括しているのはプロデューサーさんなのだろうか。
 あと最近気になっているのは、名乗る時、右京さんは警察手帳を出すのに神戸は出さない。名前を名乗るのみ。
 何か意味があるのだろうか?
 古畑任三郎のように警察手帳をなくしているとか。
 もっとも次回予告を見たらしっかり手帳を出していましたが。


コメント (2)
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