平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ラスト・コーション 愛する一瞬

2009年12月16日 | 洋画
 日本軍占領下の1942年の上海。
 抗日の学生ワン(タン・ウェイ)は、傀儡政権の特務機関のトップであるイー(トニー・レオン)を暗殺する手伝いをするため、イーの愛人になるという物語。

 まず特務機関のイーは<愛を渇望していた>んですね。
 いつ誰が自分を裏切るか、殺しにくるか、わからない状況の中で、人を信じられないイー。
 ピリピリ張りつめて、今にも切れそうな心の糸。
 そんな彼がワンとの行為の時だけ解放される。
 それは過激な愛し方。ベルトで腕を縛り、服を破り……。
 拷問が日常茶飯事の彼にはこういう愛し方しか出来ないのだ。
 あるいはこれは自分を抑圧するものに対する反抗と狂気。
 それは戦場やアウシュビッツ収容所などで、人が残虐な行為に走ってしまうのと似ている。

 一方、愛人を演じるワン。
 彼女は自分の体を<道具>にしている。
 抗日(イーの暗殺)という思想のために、自分の体を使っている。
 それは、ワンが愛人になるために(ワンは人妻という形でイーに近づいたので処女ではおかしいため)、愛していない男に抱かれて処女を喪失した時から始まっている。
 愛のないセックス。
 だが、抱かれていくうちに、イーの心の悲痛、叫びが伝わったのか、ワンは次第にイーを愛するようになっていく。
 道具から愛へ。

 そしてワンがイーを受け入れる瞬間がやって来る。
 それがあのクライマックスの指輪のシーン。
 ワンはこの瞬間、<抗日の闘士>から<女>になったのだ。
 このクライマックスは「戦場のメリークリスマス」のデヴット・ボウイと坂本龍一が抱き合うシーンを思わせますね。
 ワンとイーが本当に愛し合った瞬間。
 時間にしたら「逃げて」のひと言ですから、1秒もない。
 でも人と人が本当に愛し合う時間って、ほんの一瞬のことなのかもしれません。

 ところでラストシーンのイー。
 愛されていると信じていたワンに裏切られた彼の絶望はどの様なものだったろう。
 「逃げて」と言ったワンの言葉の意味を考えられるようになるには時間がかかりそうだ。


コメント
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