平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

坂の上の雲 日清・日露戦争と昭和の戦争

2009年12月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 日清戦争に清国が負けて森鴎外は従軍していた子規(香川照之)に言う。
 「眠れる獅子だと言われていた清国が獅子でないことがわかり、欧米の列強は清国を食い物にするだろう」
 この鴎外の言葉どおり、あの時代は<植民地時代>だったんですね。
 強い者が弱い者を併合して植民地にすることが、何の問題もなく当たり前の時代。
 真之(本木雅弘)たち、明治の人間の意識はここにある。
 すなわち<日本を欧米の植民地にしてはいけない>という危機意識。
 そして作品中でも説明されていたが、朝鮮半島は南下して日本を狙ってくるロシアの防波堤だった。
 朝鮮が植民地になれば今度は日本が狙われる。
 だから明治の日本人は朝鮮にこだわったんですね。

 このように司馬遼太郎さんの歴史観では、日清、日露戦争は植民地支配から逃れるための戦略的<防衛の戦争>だと位置づけられている。
 それがいかにして昭和の侵略戦争に変わっていったかというのが司馬さんの問題意識だ。
 そして、それを明治の指導者や軍人を描くことで明らかにしようとしている。
 
 明治の指導者や軍人は昭和のそれと明らかに違う。
 まず客観的に情勢判断ができる。
 敵の戦力、情勢を正確に把握して、的確な判断を下す明治の指導者・軍人たち。
 一方、敵の戦力分析など行わず精神論で突っ走るのが昭和の軍人であり、そうした軍人を制御できないのが昭和の政治家たち。
 司馬さんは太平洋戦争中、陸軍の戦車隊にいて、日本の戦車の装甲が薄いことからこうした問題意識を持ったそうだが、確かに日本陸軍は戦車の装甲が薄くても精神力で何とかなると思っていた。
 この精神力崇拝と神国日本は絶対に負けないという意識は、日清・日露戦争に勝利したことによるおごりから来たものだと思うが、司馬さんが「坂の上の雲」を書いたのにもその辺に理由があったものと思われる。

 また明治と昭和では人命に関する意識も違う。
 第4話では戦闘で三千人の命を失わせたことに悩む東郷平八郎(渡哲也)が描かれたが、昭和の戦争では人命は消耗品。
 民間人をも巻き込んだ一億総玉砕では何のための戦争かわかったものではない。
 昭和の指導者たちは狂乱の中で物事が見えなくなってしまったのだ。
 司馬さんはこうした狂乱、非理性的な人間を嫌う。
 だから理性的な人間として東郷平八郎や真之、好古(阿部寛)を描いた。
 第4話では「日本の兵隊さんありがとう」と清の人間が言っていると子規に強要する軍人が出て来たが、その軍人こそ非理性的な人間の象徴。
 
 「坂の上の雲」は司馬さんが映像化を禁じた作品。
 なぜなら日清・日露戦争で勝利した日本や勝利に導いた軍人を英雄的に描けば、歪んだナショナリズムに繋がるから。
 だが何らかの理由で司馬遼太郎財団が許可したらしい。
 この作品を見る時は、日清・日露戦争が植民地支配から逃れるための<防衛戦争>であったこと、指導者たちは<理性的>であったことを忘れてはならないと思う。

※追記
 もうひとつ、明治の戦争と昭和の戦争の違い。
 日露戦争では当時の首相・桂太郎は開戦直後から終戦の仲介するようアメリカに働きかけていた。
 一方、昭和の戦争はいかに終戦に持ち込むかなど考えていなかった。
 終戦直後にソ連に働きかけたようだが、もはや遅かった。

※追記
 司馬さんの歴史観として日清・日露戦争は<防衛の戦争>と書いたが、結果として領土を得たことを考えると、このことも疑ってみるべきかもしれない。


コメント (4)
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