平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

坂の上の雲 第1話「少年の国」

2009年12月06日 | 大河ドラマ・時代劇
★司馬遼太郎さんの描く人物は皆さわやかだ。
 だからこの作品のもうひとつの主人公である<明治>という時代もさわやか。
 どんな時代かというと
・国家が誕生したばかりで子供のように希望に満ち溢れている時代。
・国家と個人が一致している時代。
 個人が働くこと=国のために役立つことである時代。 
 劇中では「一身の独立、即ち国の独立」という言葉で表現。
・学問をすれば立身出世がかなう時代。

 うらやましい時代である。
 未来への希望に満ち溢れている。
 これを国家が歳をとってしまった現在2009年と比べてみるとわかる。
 現代は
・国家も個人も迷走、迷走!どこに向かって走っているかわからない。
・誰も国家なんてものを信じていないし、自分の働き=国家のためではない。
・明治の人間が目指した政治家、官僚は腐敗の象徴。私利私欲。
・学問をしたって幸せにはなれない。学問の結果である一流企業、官庁、医者、弁護士にどれだけの魅力があるか。努力してもたかがしれている。

 明治の時代と比べて、現代は行き詰まり夢も希望もないのである。
 真之(本木雅弘)たちの様に、何の疑いもなく「坂の上の雲」を目指して坂を登れないのである。
 
★だが、ここで論旨をひっくり返すが、「明治の時代はよかった。うらやましい」と言ってすねるのは現代人の甘えでもある。
 好古(阿部寛)や高橋是清(西田敏行)、父・久敬(伊東四朗)を見よ。
 みんなそれぞれ自分というものを持っている。
 好古は茶碗一個を恥としない。
 「人生は一事をなすこと。自分の喧嘩に勝つことだけを考えていればいいのであって、身近なものは単純であるべきだ」と考えている。
 是清は「日本を紳士の国だと認めさせること」のために活動している。
 飄々とした父・久敬も天下国家を論じるわけではないが、「人は生計の道を講ずることに、先ず思案すべき」としっかりした人生訓を持っている。
 そんな彼らに比べて我々は……?
 一個の茶碗を恥とし、人生で何をなすべきか全然わかってない。
 腹が据わっておらず、迷走の繰り返しである。

 司馬さんがこの作品で描きたかったのは、現代と反面教師のこういうさわやかな人物と国家だったのだ。
 ただし、このさわやかさには危険が伴う。
 司馬さんもその危険を感じてこの作品の映像化は禁じていたそうだが、このさわやかな国家観が進んでいくと、戦前の国家主義にいく。
 ちょうど明治の国家が日清日露戦争に勝利し、中国侵攻、太平洋戦争に突っ走っていったように、「国家のために命を捨てよう」の主張になる。

 明治の時代は”個人=国家”であった。
 だが戦争の時代は”個人<国家”になる。
 ちなみに現代は”個人>国家”の時代。
 こうした現代を漫画家の小林よしのりさんなんかは憂えている。
 安倍元首相なんかも「美しい国」と言って”個人<国家”にしようとしてる。
 僕は小林さん、安倍元首相とは反対の立場だが。


コメント (2)
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