平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ペネロピ ブタ鼻は可愛い

2009年12月24日 | 洋画
 呪いで鼻と耳がブタになってしまった女の子を描いたファンタジー。
 主人公ペネロピはその姿ゆえ外に出られず、家に引きこもってしまう。
 子供の頃から引きこもった彼女は外の世界を知らず、そこへ王子様とも言える男性が現れて
 ……という物語。

 この物語で面白いのは、家の外に出たペネロピが人気者になってしまう所。
 通常の物語の定石では<王子様に勇気づけられたペネロピがついに家の外に出て呪いが解ける>というのがクライマックスになるはず。
 でも、この作品の作家はそれをクライマックスに持って来なかった。
 何もかもが嫌で自暴自棄になったペネロピはマフラーで顔を描くし、屋敷の塀を乗り越えて街に出る。
 そこで見る街の風物は何もかも新鮮だったが(←「ローマの休日」のよう)、やがてマフラーが外れる事件が起こってブタ鼻とブタ耳が明らかになってしまう。
 しかし、ここからが面白い。
 先程も書いたようにペネロピが「かわいい」と街の人気者になってしまうのだ。
 ペネロピはファッションになり、ブタ鼻のペネロピグッズまで出来てしまう。
 この感覚はたとえば、森三中の村上さんを可愛いと感じる感覚に似ている。
 そしてこのことで見た人は気づくんですよね。
 「美しい」「可愛い」って相対的なものだって。
 「自分はブスだから人に嫌われる」って思うのは、自分の思い込みだって。
 ペネロピは最後にブタ鼻、ブタ耳の自分を肯定する。
 ブタ鼻、ブタ耳が自分自身であると思う。

 現代はさまざまな価値観が飛び交い、すべてが相対化している時代。
 「きれいは汚い。汚いはきれい」と書いたのはシェークスピアだが、まさにブタ鼻が可愛くなってしまう時代。
 そして時代が変われば物語も変わる。
 この作品が今までの物語の定石を踏まなかったのは、時代が変化したからなんですね。
 ものを作ろうとしている人は定石にこだわらず、自分の感性に従った方がいいかもしれません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする