平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

クリミナル・マインド 第14話 究極の選択

2009年12月13日 | テレビドラマ(海外)
 AかBか、究極の選択が迫られる時、ドラマになる。
 「クリミナル・マインド」第14話「死刑へのカウントダウン」がそうだった。
 12人の少女を殺害したジェーコブ・ドーズとその妻サラ・ジーン・ドーズ。
 彼らは36時間後に死刑になる。
 だが、主人公ギデオンは妻のサラが殺人に実際に関わっていないことを見抜く。
 サラが電気椅子で死ぬことを受け入れたのは、夫の行為を知りながら止められなかった罪の意識と息子のため。
 息子は身元不明の両親の孤児として引き取られ、今は幸せに暮らしている。チェロで賞ももらったらしい。
 サラの主な罪状は夫と共に実の息子を殺害したことだが、もし息子が生きていれば、サラの死刑は免れる。
 サラを救うためギデオンたちは息子探しを行い、息子を見つけるが、サラは自分を死刑にしてくれと言う。
 その理由は、息子が連続少女殺人犯の子であることがわかれば、今育ててもらっている両親の愛や将来が失われてしまうと考えるからだ。

 そこで主人公の究極の選択。
 A……サラを救うため、息子が生きていることを明らかにするか?
 B……息子の将来のため、サラの願いを聞き入れて明らかにしないか?結果サラは死刑になってしまうが。

 ネタバレになるのでギデオンがどちらを選んだかは書かないが、こういう究極の選択を迫られるとドラマは断然面白くなる。
 どちらも同じように正解という選択を迫られると、人間ドラマになる。
 ドラマは葛藤なのである。
 それはシリアルキラーを扱ったサスペンスものでも同じ。

 それにしてもアメリカは病んでますね。
 この作品を始め、サスペンス物で扱われるのはみんな猟奇殺人。
 自由の国と言いながら、暮らす人は息苦しくて窒息しそうなのか?
 西洋人という肉食系ゆえなのか?
 シリアルキラーのほとんどは白人だというが、何か理由があるのか?
 社会学的に面白い。

 ラストで崖で懺悔する日本のサスペンス物はまだ平和です。


コメント
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