平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

わが家の歴史 生きていれば時々いいことがある

2010年04月12日 | ホームドラマ
 「生きていれば時々いいことがある」
 イラクで亡くなった戦場カメラマンの橋田信介さんの言葉を思い出した。
 決していいことばかりではなかった、というより、悪いことつらいことの方が多かった政子(柴咲コウ)を始めとする八女家の人々。
 愛人、内縁の妻としての結婚生活。夫の志半ばの早過ぎる死。
 だが人生には、ときどき幸せの瞬間がある。
 たとえば、息子が運動会で一位を獲った時。
 あるいは房子(榮倉奈々)の結婚式で家族が揃った時。
 この時、政子は言う。
 「家族全員が集まって、わいわい言いながらみんなが幸せな顔をしている。今日、この日のためにわたしは頑張ってきた気がします。お姉ちゃんは幸せです。有難う」
 これら運動会のシーンと結婚式の挨拶のシーンはこのドラマが描きたかった瞬間でもある。
 このシーンを描きたいがために10時間が費やされたと言ってもいい。

 人はある輝く一瞬のために生きている。
 その輝きは永遠ではないし、すぐに日常に埋もれてしまうけれど、そのわずかな時間のために一生は費やされる。
 ゆかり(長澤まさみ)や大浦(玉山鉄二)には、きらめきの時間は訪れていないが、やがてきっとやって来る。
 生きていればきっといいことがあるのだ。
 だから生きろ。

 三谷幸喜さんがずっと描いてきたテーマがここにはある。
 「わが家の歴史」については明日も書きます。

 わが家の歴史・レビューその2はこちら


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龍馬伝 第15回「ふたりの京」

2010年04月12日 | 大河ドラマ・時代劇
 加尾(広末涼子)のために生きるか、日本のために生きるか。
 意識していなかったのでしょうが、龍馬(福山雅治)の中では結論が出ていたようですね。
 勝麟太郎のことを聞いて目を輝かす龍馬を見て、加尾はそのことに気づいてしまった。
 黒か白でなく、両方選ぶという灰色の選択肢もあるようにも思いますが、ふたりは若く、そんなに器用ではなかったようです。
 何より龍馬は自分のそばに加尾の存在があれば、自由に突っ走れない。
 別れるふたり。
 加尾はこれから龍馬の活躍を遠くで見守っていくんでしょうね。
 愛した男が世に出て、大きな仕事を成し遂げていく姿を見守っていく。
 これもひとつの愛のあり方か。
 土佐に戻る加尾の凛とした背中はそんなことを物語っているようです。

 一方、以蔵(佐藤健)。
 自分のしていることに抑圧を感じていたようですね。
 龍馬と出会って、「楽しくて気が楽になった」。「龍馬ーーー!」と抱きついた。
 蝕まれていく心。そんな中で以蔵は救いを求めていた。それが龍馬だった。
 以蔵の中には、龍馬と通じ合うもの、「心根のやさしさ」みたいなものがあったのでしょうね。
 ただ弱すぎて、ひとりで生きていくことは出来なかった。
 「以蔵、わしの隣に来い」
 半平太(大森南朋)の人心掌握術はなかなか巧みです。
 龍馬と半平太、このふたりの間を右往左往して生きていく以蔵。
 自分にとって何が大切かを考えていれば、自分が行くべき場所の結論は出ていたのだろうが、それを放棄してしまったことに以蔵の悲劇がある。

※追記
 龍馬のラブシーンと以蔵の殺しのシーンがカットバック。
 <愛>と愛に飢えた者の<孤独>の対比だろうが、少し凝りすぎのような気がする。

※追記
 龍馬とのラブシーンの加尾。
 目が潤んでいる。そして翌朝の笑顔。
 この広末涼子さんの演技はなかなか。

※追記
 重苦しい空気の中、唯一のギャグパートである弥太郎(香川照之)。
 龍馬や武市からは一歩遅れてしまった感じだが、彼にはとてつもないエネルギーがある。
 それが爆発した時は、一気に走り出す?
 加尾のように口には出さないが、喜勢が弥太郎の所に来たのはそんな所にあるような気がする。


コメント (4)
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