平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ゲゲゲの女房 心地よい時代

2010年04月20日 | ホームドラマ
 見合いから披露宴まで5日間。
 布美枝(松下奈緒)と茂(向井理)がその間交わした会話は「自転車には乗れますか?」
 かつてはこれだけで結婚が決まっていたんですね。
 あまりない選択肢、父親・源兵衛(大杉漣)の「あの男はいい」という言葉への信頼といった理由もあったと思うが、布美枝たちの世代には「自転車には乗れますか?」というやりとりだけで理解し合えるコミュニケーション能力があった。

 ところが現在はいくら言葉を交わしても理解し合えない。
 たとえばフジテレビ・木曜日の「素直になれなくて」は、すれ違いのドラマ。
 主人公達はいっしょにいても砂漠のように孤独で悲鳴をあげている。
 あるいは現実では、婚カツサイト、婚カツパーティ・合コンというシステムはあるが、それらを運営するのはお金を稼がなくてはならない企業であるせいか、どこか空虚。
 夕方のニュースの特集などで知る限りだが、そこに参加する人達は年収とか職業とかに目を奪われている。おそらく茂が現代の婚カツパーティなどに行ったらきっと相手にされないだろう。義手だし、あまり有名な漫画家ではないし、四十歳に近いし。

 「ゲゲゲの女房」が描くかつての社会とそれらが壊れてしまった現代。
 昔はよかったと言うつもりはないし、現代にもいいものがたくさんあると思うが、「ゲゲゲ」の世界が豊かに感じてしまうのはなぜだろう?
 
 たとえば最近の家族5人にナイフを突き立てたひきこもりネット依存者の事件。
 報道に拠ると、父親の給料は犯人である息子が管理して、父親と母親に与えていたらしい。
 これはもはや親子関係ではない。
 いっしょに暮らしているが、彼には父親も母親もいない。
 だが布美枝には、しっかり父親・母親がいる。茂にもいる。
 だからお嫁に行く時、「ありがとう」と言葉が交わせるし、「披露宴では特級酒を用意してやろう」と言える。
 そして、これが豊かさだ。

 現代は家族さえもバラバラな<個人>の時代。
 <封建的な家族主義><国家主義>の時代よりは数倍いいと思うが、<個人>であるためには、孤独であることを引き受けなければならない。
 もはや戻ることは出来ないと思うが、「ゲゲゲの女房」で描かれる世界ぐらいが<国家主義><個人主義>の真ん中で適当だろうと思うが、どうだろう?


コメント (2)
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