平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ジャージの二人 物語からの解放

2010年04月04日 | 邦画
 山里の山荘にやって来た父(鮎川誠)と息子(堺雅人)。
 父親が母親と離婚したこともあり、ずっと音信不通だったふたりの関係はどこか他人行儀。
 そして始まる山荘でのゆる~い生活。

★この作品では<劇的>なことは起こらない。
 描かれることは、<小学校の名前のついたジャージのこと><繋がらない携帯電話><食べたいお菓子のこと><出没するイノシシのこと><遠山さんという近所に住むおばさんのこと><ジャージに書かれた<和小>という文字の読み方><携帯電話のアンテナが唯一立つ畑のこと><ビデオデッキのこと>……。
 これら他愛もないことがとりとめもなく羅列されていく。

 もっとも、そんな日常でも<劇的>なことはある。
 <息子の妻が浮気していること>
 <父親が三番目の妻と離婚寸前であること>
 これらは突っ込めば<劇的>になりそうなのだが、敢えて突っ込まない。
 「家族、うまくいってるの?」「あまりうまくいっていない」「そう」
 という会話で終わってしまう。

★劇的なことが起こらない作品。
 でも考えてみると、われわれの日常ってこんな感じなんですよね。
 携帯電話のアンテナが立たないことや食べたいお菓子のことを、とりとめもなく話している。
 他人の内面に敢えて突っ込まないことが、心地よい人間関係であったりする。
 関わりと言えば、息子が「寒い」と言えば、「これ着ろよ」と言ってジャージを渡すことや、ジャージの<和小>の読み方がわかって「読み方がわかったよ」と父親に伝えることレベル。
 この作品は、そんなわれわれの<劇的>でない日常を描いている。

 それは同時に<物語>からの解放である。
 われわれは、そんな何も起こらない日常に退屈して劇的に生きたいとも思っている。
 頂点にのぼりつめるサクセスストーリーや燃える恋愛ストーリー。
 そんな物語の主役になりたいと思っている。
 でも、それって生き方としてはきつい生き方なんですよね。
 <夢>の実現のためにがんばる主人公を描いた映画やドラマは多いが、<夢>を実現するって大変なこと。
 <幸せな家族>を作るために奮闘する映画やドラマは多いが、現実に壊れてしまった家族を普通にするのは大変なこと。

 この作品は<物語からの解放>を描いた作品である。
 この父子たちのように<物語から解放>されて生きることこそ、幸せではないかと問うている。


コメント
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