平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「のだめカンタービレ」を考える。

2010年04月18日 | その他ドラマ
 ドラマの新しさというのは「のだめカンタービレ」のような作品を言うのだろう。

★まずコミック・アニメと実写の世界の完全な融合。
 昨夜「最終楽章 前編」の裏で「怪物くん」をやっていたが、コミック・アニメとの融合と言うと、どうしても子供向きになってしまう。かつらや特殊メイクが気になってしまう。実写版「セーラームーン」もそうだった。
 ところが「のだめ」はわりと自然。
 のだめがアニメの世界に入り込んでも、光線をぶつけあっても、のだめの代わりに人形が投げ飛ばされても、ほとんど違和感がない。
 これは主人公のだめがピアノの<天才>であること、変わり者の天才だからアニメの世界に入り込んでも仕方がない、みたいなキャラクター性のためだと思うが、結果「のだめ」はコミック・アニメとの融合という文体を見事に確立した。
 そして我々は今までに見たことのない色彩豊かな映像を見ることが出来た。
 このラインの作品では「ライアーゲーム」がそうだろう。
 登場人物たちはデフォルメされてマンガ的だったし、ゲームのルール紹介の映像はアニメだった。

★音楽がバトルになることを描いたのも新しい。
 映画などでピアノのコンクールを題材にしたものがあったが、指揮をバトルにしたのはこれが初めて。
 また、この作品で指揮者という職業がどういうものかがよくわかった。
 <教師><刑事><医者>などがドラマでよく描かれる職業だが、これらはいい加減手垢がついている。
 いかに新しい職業を持ってくるかは今後のドラマのポイントだ。

★このように新しいドラマを提供した「のだめ」だが、一方でこれはスポ根ドラマでもあったんですね。
 今回の最終楽章・前編を見て思ったのだが、シュトレーゼマン(竹中直人)は「エースをねらえ!」でいう宗方コーチ。
 のだめや千秋に様々な試練を与えて、彼らを成長させている。
 のだめたちはシュトレーゼマンの手のひらの上で踊らされていたわけだ。
 しかし「のだめ」の新しい所は、シュトレーゼマンを宗方コーチのような厳格な人物にしなかったこと。
 キャバクラ好きでキスを求めたり、胸を触ったりする。宗方コーチなら絶対にしない。
 逆にシュトレーゼマンが宗方コーチのようにお堅い人物だったら、これほどヒットしなかったのではないか。
 既存のキャラをどうひねるか?
 これもドラマの新しさのポイントだろう。


コメント (4)
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