平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 第14回「お尋ね者龍馬」

2010年04月05日 | 大河ドラマ・時代劇
★冒頭10分、龍馬(福山雅治)は出て来ない。
 薩摩に行っているという。
 視聴者はなかなか登場しない龍馬にやきもきする。
 そして、満を持して主役登場!
 という演出。
 第2部になって龍馬がかなりワイルドになったが、第1部・2部という区切りで何となく納得。
 脱藩してからの旅で<龍馬は何を見て考えたのか>ということを視聴者に想像させる仕掛けになっている。

★物語としては、土佐からの龍馬を捕まえにやってきた郷廻り・井上佐市郎(金山一彦)をめぐる対応で、龍馬と武市(大森南朋)を対比させる。
 すなわち、龍馬は井上を斬らない。剣で威嚇して井上を退散させる。
 武市は以蔵(佐藤健)を使って井上を殺す。
 <退散>と<殺害>。
 この違いを描くことで、武市が別の世界の人間になってしまったことを描き出す。

 龍馬と武市の対比はこんな所にも。
 龍馬は弥太郎(香川照之)に「血なまぐさいことは似合わないから土佐に帰れ」と言う。
 武市は以蔵を操って人を殺害させる。
 これも<退散>と<殺害>。
 以蔵も龍馬に出会っていたら、「退散しろ」と言われたのではないかと思わせる。

 龍馬の中には<退散>という発想がある。
 第9話「命の値段」で山本琢磨(橋本一郎)を逃がしたのもそう。
 生きるために逃げることは少しも卑怯でない。
 このことを掘り下げれば、龍馬と武市の違いは<生きること>と<死ぬこと>。
 龍馬はあくまで<生きること>を主張し、武市は自分自身にも他人にも<死ぬこと>を要求する。

 そして龍馬の中で<生きること>と<攘夷>はどうも上手く馴染まない。
 武市の行動がそうであるように<攘夷>は死を志向するからだ。
 しかし<攘夷>をしなければ、この国は侵略される?
 ここに龍馬の迷いがある。
 しかし、今回龍馬が言ったように「違う攘夷のやり方ががある」とも思っている。
 それが何であるかは現在の龍馬にはまだわからないが。

★<逃げること><迷うこと><悩むこと>は決して悪いことではない。
 死を厭わず信念を持って前に突き進むことは、気持ちがいいし格好いいが、早急に結論を出してもいけないし、信念に凝り固まってもいけない。
 迷いながら前に進み、また迷って立ち止まる。
 そんな龍馬を僕は好きだ。
 そして、あくまでも<生きること>を志向する龍馬も。

※追記
 認められたいから、仲間に入りたいから、人を殺してしまう以蔵。
 以蔵は<人間の弱さ>の象徴ですね。
 悪いことだと思っていても、孤立を怖れてNO!と言えない。
 そんな以蔵の最初の殺しが、絞殺というのが悲痛です。
 決して殺陣による格好いいものでない。
 前回の武市の梅の絵のシーンといい、ここに人を殺すことに対する脚本・福田靖さんの思いを感じる。
 そして以蔵も越えてはならない一線を越えてしまった。


コメント (6)
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