平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

江~姫たちの戦国~ 第44回「江戸城騒乱」

2011年11月14日 | 大河ドラマ・時代劇
 大坂夏の陣の後日談。
 どう描き込み、決着をつけるか?

★まずは淀(宮沢りえ)。
 淀の思いを江(上野樹里)への手紙で表現した(一部抜粋)。

 「おのれの思いのため、死にゆく私を許してほしい。やるべきことをやったまで。いくさを引き寄せたのはすべて私。私が死んで太平の世が来るのならば、それで良しと思うておる。私にはそなたに願いがある。それは徳川を憎むなということじゃ。それが私の最後の願い……」

 少しきれいごと過ぎて、淀が<いい人>過ぎる気がする。
 理不尽な徳川に対して、恨みつらみがあっても……。
 江や秀忠(向井理)に対しても一言あっても……。
 だが、きっと死を前にして、淀は<清浄な気持ち>になったのであろう。
 清らかな気持ちで、江が悩み苦しむことを心配し、こう語ったのだろう。
 死に方としては、恨みや憎しみを抱いて死ぬよりはずっといい。
 死ぬ瞬間に何を思うか。
 淀でなくても大事なテーマですよね。

★次に秀忠。

 「あの時に、おのれの何かが死んだ。私を憎むがよい。いかに憎まれようとも、私に悔いはない。誰ひとり傷つけることなく、太平の世を築くなど絵空事に過ぎぬ。私は何があろうと天下を泰平にする。それが私に出来るただひとつの償いじゃ。血を流すのはこれが最後だ」

 このせりふは「いかに憎まれようとも、私に悔いはない」に尽きる。
 これは秀忠の覚悟。
 憎まれても自分の理想を成し遂げるという覚悟。
 今までの秀忠はただ批判しているだけで、覚悟がなかった。
 人間、基本的には憎まれたくないし、いい人でいたいですからね。
 しかし覚悟なき理想は、うわっつらのきれいごとに過ぎない。
 その意味では、秀忠は<オトナ>になり、<権力者>になった。

 ただし、この考え方も行き過ぎると、戦争や殺戮を正当化する理屈になるんですけどね。
 世界をテロの脅威から守るために、いくら憎まれても戦争を行うみたいな。
 本当に生きるというのは難しい。

★そして江。
 上記の淀と秀忠の言葉に対して、江が語ったのは「私はどうしてよいのかわかりませぬ」。
 まあ、確かにすぐに納得してしまうのも不自然だし、こうリアクションするしかないのだろうが、主人公のせりふとしては、上記のふたりと比べてあまりにも物足りない。
 その後、江がどう描かれるのかと思って見ていたら、既に竹千代の問題に移っている。
 要は時間が江の気持ちを整理し、解決したということか?

 江には葛藤がない。
 淀や秀忠には葛藤があって、自分なりに結論を出しているのだが、江にはその描写がない。
 これは作家の怠慢であろう。
 ここで江の心の中を掘り下げなければ。
 江は徳川家や、秀忠、家康に対してどう思っているのか?
 やりきれない気持ちに対してどう決着をつけたのか?
 許したのか? 仕方がないと思ったのか? 秀忠同様、鬼になる覚悟を持ったのか?
 よくわからない。

 これは「江」という作品を通して言えることだが、作家は最後の最後まで、江という人物を把握することが出来なかった。
 だから江はいつも蚊帳の外で、他の人物の方が魅力的に見えてしまう。

 ラストの竹千代の化粧のことだって、江はその場から逃げてしまう。母親なのに。
 このリアクションは違うと思うのですが、田渕先生、どうでしょう?


コメント (4)
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