江(上野樹里)は最終的にはこんな人物だったらしい。
女性としての栄耀栄華を極めた人物。
心の欲するまま、思うがままに生きた人物。
太平の世を望んだ人物。
希望。
しかし、どうだったのだろう?
確かに世間の尺度では<女性としての栄耀栄華>を極めたかもしれないが、別に自分の力でそうなったわけではない。
たまたま、生まれがよかっただけ、乗った徳川という船がよかっただけ。
徳川家に嫁いだのも自分の意思ではなく、秀吉によって無理矢理であったわけだし。
次の<思うがままに生きた人物>となると完全にウソだ。
先程の徳川家に嫁いだ経緯もそうだし、ただ歴史の流れに流されていただけだった。
江はまったく歴史と戦っていない。
江の行動で記憶にあるのは、当事者の所に乗り込んでいって論破されて帰ってくること(千利休など)、手紙を書き、写経すること(淀など)。
これらは一応戦っているが、歴史に影響を及ぼしたとは言い難い。江はつねに敗れ去っている。
もし、<思うがままに生きた人物>と描きたいのなら、江は武家を捨てるべきだった。作品中で秀忠(向井理)と「百姓になりましょう」という会話があったが、そうすべきだった。
極論だが、それがいくさを嫌う人間が<思うがままに生きる>ということ。
江の人生は歴史に流され、妥協に妥協を重ねてきただけの人生だった。
<太平を望んだ人物>
これは確かにそのとおりであっただろう。
しかし、<戦略>や<非情さ>のない望みはただの夢想でしかない。
秀忠はそのことに気づいて<鬼>になったが、江のスタンスは最後の最後まで曖昧だった。
国替えなどを行う秀忠に、まだ「力で抑えることはあなた様には似合いません」と諫める始末。
そして、息子の家光に「父上は太平の世を築くために重荷をひとりで背負っておられる。母上にはそれを理解してほしい」と諭される。
江は理想ばかりを言うただの夢想家だった。
自分から泥をかぶる覚悟も行動力もなかった。
江が主人公になる分岐点はいくつかあった。
今回の回想シーンでもあった、熱海で秀忠が将軍になるか迷っていた時のこと。
ここで江は「将軍になって下さい。私がお支えしますから」と言った。
ここから秀忠をしっかり支えればよかったのだ。
江自身も<鬼>になる覚悟を持って、<太平のために非情なこともする>くらいの女性として描かれればよかったのだ。
だが、江が「戦略や非情さのない望みは夢想でしかない」と気づいたのは、最終回後半になってからだった。
そして<希望>。
確かに小谷城落城の際の浅井長政にとっては、生まれてきた新しい命の江は<希望>であっただろう。
しかし、それ以降はどうか?
秀忠がラストで「そなたは私の希望だ」と語ったことに違和感を抱いてしまった。
秀忠はひとりで苦しむばかりで、江がその苦しみを和らげることなど、少しもしなかったからだ。
というわけで最後の最後まで<主人公>になれなかった江。
この原因は、<歴史上の人物を無理矢理、現代のきれいな価値観に合わせようとしたこと>にある。
その一番の象徴が<思うがままに生きた人物>という価値観だ。
実際の江は、食うか食われるかという戦国時代の中で、決して<思うがままに生きた人物>ではなかっただろう。
歴史や運命に翻弄され、諸行無常を感じ、時には保身や権力欲に取りつかれながら生きてきたというのが実際の所だろう。
それを脚本・田渕久美子さんが求める<理想の女性像>に無理矢理あてはめたから、訳がわからなくなってしまった。
もちろん、作品は現代人が見るものだから、現代の視点で人物を描けばいいのだが、それが度を過ぎると今回の江のようになってしまう。
江の場合はほとんど資料が残されていないそうだが、作家はまず、出来る限り資料を集め、読み込み、対象となる人物の心の声に耳を傾けるべきである。
そこから現代視点の創作が始まる。
司馬遼太郎さんなど昔の歴史小説家は当然のごとく、それをやっていたんですけどね。(「坂の上の雲」執筆の時などは、神田古書街の日露戦争関係の本がすべて司馬さんによって買い占められたそうだ)
今はほとんどそれがない。
※追記
瀬戸内寂聴さんは、平塚らいてうを描いた小説「青鞜」の中で、主人公平塚らいてうへの作家としてのアプローチの仕方としてこう書いている。
「私は『青鞜』の社会的意義を、あまりに高く評価するがために、らいてうに対しても、かくあってほしいというイメージを理想化していて、そのイメージから外れるらいてうを見まいとして、勝手にらいてうとの間に霧を湧かせていたのかもしれない。
そう考えついた時、私はふいに肩の力が抜けるのを感じた。ようやく、らいてうの声を聞く電気装置がつながれたような安心感があった」
果たして、脚本・田渕久美子さんにこのような謙虚さがあったかどうか。
田渕さんの場合は、<自分の描きたい人物像が優先。歴史上の人物はそれに合わせてくれればいい>みたいな傲慢さを感じる。
女性としての栄耀栄華を極めた人物。
心の欲するまま、思うがままに生きた人物。
太平の世を望んだ人物。
希望。
しかし、どうだったのだろう?
確かに世間の尺度では<女性としての栄耀栄華>を極めたかもしれないが、別に自分の力でそうなったわけではない。
たまたま、生まれがよかっただけ、乗った徳川という船がよかっただけ。
徳川家に嫁いだのも自分の意思ではなく、秀吉によって無理矢理であったわけだし。
次の<思うがままに生きた人物>となると完全にウソだ。
先程の徳川家に嫁いだ経緯もそうだし、ただ歴史の流れに流されていただけだった。
江はまったく歴史と戦っていない。
江の行動で記憶にあるのは、当事者の所に乗り込んでいって論破されて帰ってくること(千利休など)、手紙を書き、写経すること(淀など)。
これらは一応戦っているが、歴史に影響を及ぼしたとは言い難い。江はつねに敗れ去っている。
もし、<思うがままに生きた人物>と描きたいのなら、江は武家を捨てるべきだった。作品中で秀忠(向井理)と「百姓になりましょう」という会話があったが、そうすべきだった。
極論だが、それがいくさを嫌う人間が<思うがままに生きる>ということ。
江の人生は歴史に流され、妥協に妥協を重ねてきただけの人生だった。
<太平を望んだ人物>
これは確かにそのとおりであっただろう。
しかし、<戦略>や<非情さ>のない望みはただの夢想でしかない。
秀忠はそのことに気づいて<鬼>になったが、江のスタンスは最後の最後まで曖昧だった。
国替えなどを行う秀忠に、まだ「力で抑えることはあなた様には似合いません」と諫める始末。
そして、息子の家光に「父上は太平の世を築くために重荷をひとりで背負っておられる。母上にはそれを理解してほしい」と諭される。
江は理想ばかりを言うただの夢想家だった。
自分から泥をかぶる覚悟も行動力もなかった。
江が主人公になる分岐点はいくつかあった。
今回の回想シーンでもあった、熱海で秀忠が将軍になるか迷っていた時のこと。
ここで江は「将軍になって下さい。私がお支えしますから」と言った。
ここから秀忠をしっかり支えればよかったのだ。
江自身も<鬼>になる覚悟を持って、<太平のために非情なこともする>くらいの女性として描かれればよかったのだ。
だが、江が「戦略や非情さのない望みは夢想でしかない」と気づいたのは、最終回後半になってからだった。
そして<希望>。
確かに小谷城落城の際の浅井長政にとっては、生まれてきた新しい命の江は<希望>であっただろう。
しかし、それ以降はどうか?
秀忠がラストで「そなたは私の希望だ」と語ったことに違和感を抱いてしまった。
秀忠はひとりで苦しむばかりで、江がその苦しみを和らげることなど、少しもしなかったからだ。
というわけで最後の最後まで<主人公>になれなかった江。
この原因は、<歴史上の人物を無理矢理、現代のきれいな価値観に合わせようとしたこと>にある。
その一番の象徴が<思うがままに生きた人物>という価値観だ。
実際の江は、食うか食われるかという戦国時代の中で、決して<思うがままに生きた人物>ではなかっただろう。
歴史や運命に翻弄され、諸行無常を感じ、時には保身や権力欲に取りつかれながら生きてきたというのが実際の所だろう。
それを脚本・田渕久美子さんが求める<理想の女性像>に無理矢理あてはめたから、訳がわからなくなってしまった。
もちろん、作品は現代人が見るものだから、現代の視点で人物を描けばいいのだが、それが度を過ぎると今回の江のようになってしまう。
江の場合はほとんど資料が残されていないそうだが、作家はまず、出来る限り資料を集め、読み込み、対象となる人物の心の声に耳を傾けるべきである。
そこから現代視点の創作が始まる。
司馬遼太郎さんなど昔の歴史小説家は当然のごとく、それをやっていたんですけどね。(「坂の上の雲」執筆の時などは、神田古書街の日露戦争関係の本がすべて司馬さんによって買い占められたそうだ)
今はほとんどそれがない。
※追記
瀬戸内寂聴さんは、平塚らいてうを描いた小説「青鞜」の中で、主人公平塚らいてうへの作家としてのアプローチの仕方としてこう書いている。
「私は『青鞜』の社会的意義を、あまりに高く評価するがために、らいてうに対しても、かくあってほしいというイメージを理想化していて、そのイメージから外れるらいてうを見まいとして、勝手にらいてうとの間に霧を湧かせていたのかもしれない。
そう考えついた時、私はふいに肩の力が抜けるのを感じた。ようやく、らいてうの声を聞く電気装置がつながれたような安心感があった」
果たして、脚本・田渕久美子さんにこのような謙虚さがあったかどうか。
田渕さんの場合は、<自分の描きたい人物像が優先。歴史上の人物はそれに合わせてくれればいい>みたいな傲慢さを感じる。