平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「家政婦のミタ」論~壊して再生すること

2011年11月16日 | ホームドラマ
 「家政婦のミタ」を見ていて思うのは、<壊す>ということ。

 母親が自殺した原因が、恵一(長谷川博己)の浮気にあることがわかって壊れていく阿須田家。
 子供達は恵一に「家を出て行け」と言い、恵一もそれに従う。
 まさに家族の崩壊。

 だが、この<壊すこと>が阿須田家にとって、まず必要なことだったのだろう。
 なぜなら、それまでの阿須田家はウソに溢れていたから。
 恵一は、子供や家族を愛せない自分を偽り、<いい父親>を演じていた。妻の自殺の原因が自分にあることを隠していた。
 結(忽那汐里)を中心とする子供達はバラバラ。それぞれに悩みを抱えているが、それをおもてに出せずに他の兄弟に当たり散らしている。
 子供達をかろうじて結びつけているのは、末っ子の希衣(本田望結)の存在とトラブルメーカーのうらら(相武紗季)や隣のおばさんへの反発。

 こんな家族を再生させるには、まず<壊す>しかない。
 壊して、家族とは何かをそれぞれが考えるしかない。
 なぜなら失って見えて来るものがあるからだ。
 あるいはウソにウソを重ねて取り繕っても残るのは<空虚さ>だけだからだ。

 家政婦の三田(松嶋菜々子)は、まずこの<壊す>行為に手を貸す。
 そして<家族の再生>を計る。
 第四話の希衣(本田望結)の誘拐、第五話の長男・翔(中川大志)の警察事件、これらを通してバラバラだった家族はひとつになった。
 隣のおばさんの家に書いた落書きを家族全員で拭いてきれいにしたし、恵一は父親らしく義父・義之(平泉成)に思う所を述べた。
 三田の行動はすべて極端だが、家族のこうしたリアクションが起こることを想定して行われているように思える。
 三田が行おうとしているのは<家族の再生>なのだ。

 <壊す>ということ。
 これは現在の日本に一番必要なことなのかもしれない。
 たとえば年金問題。
 完全に崩壊しているのに、今あるものを部分修正して、問題を先送りにして、何とか取り繕っている。
 これは三田が来る前の阿須田家と同じだ。
 大阪市長選挙も橋下さんの独裁体質は気になるが、大阪府と大阪市が並立しているという状態は完全なムダで<壊す>べきだと思う。

 <壊して再生すること>

 「家政婦のミタ」はこんなテーマを描いているように思える。


コメント (4)
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