「いかなる世においても、美しく生きることが私の志だ。私には醜さにまみれて生きる覚悟などない」
<優雅に美しく生きたい>と思う義清(藤木直人)。
しかし、璋子(檀れい)との恋はそれを妨げるものであったようだ。
まず璋子の心は鳥羽院(三上博史)にあることがわかってしまった。
璋子の目が空っぽでなくなり、感情が生まれた時、そこに映っているのは<義清>であるはずだった。
恋が成就し、璋子が義清のみを見つめるようになった瞬間、美しく生きたいと思う彼の志は完結するはずだった。
なのに璋子は水仙を探した。
鳥羽院も水仙を見に行った。
まあ、これだけなら失恋の歌でも詠んで、義清の美学は保たれただろう。
冒頭、義清は清盛(松山ケンイチ)の妻・明子(加藤あい)に袖にされたというせりふがあった。
彼にとっては女性にフラれることも雅(みやび)なことなのだ。
しかし璋子はやはり魔性の女性だった。
璋子の心が自分にないことを知ると、逆上して首を絞めてしまう。
これは、優雅に美しく生きたいと思う義清にとっては絶対にあり得ないこと。醜い行為。
なのに我を忘れてやってしまった。
あるいは自分がしたことで鳥羽院に罰せられれば、まだ美学は保たれただろう。
<恋に殉じた男>になれる。
しかし、それもかなわなかった。
そして妻と娘。
清盛は「今回のことを妻と娘に心の中で詫びろ」と義清を諫める。
しかし、詩人の義清には、美しく生きる自分の行動を妨げ、謝罪しなければならない存在など邪魔なものでしかない。
桜の花びらを「美しい」という娘の感性など、当たり前で俗っぽすぎて腹が立つ。
娘の言葉を受けて「ああ、美しいな」と言ってしまう自分も許せない。俗な普通の人間に成り下がってしまったようだ。
だから娘を蹴飛ばしてしまった。
美しく生きたいと思った男が美しく生きられなくなった時、行うことは世を捨てること。
このまま世間に生きていては、世俗にまみれ、自分はダメになってしまうと義清は考えたのであろう。
こういう義清の詩人の生き方はどうだろう。
僕は家族や一族郎党を大事にする清盛や、勢力拡大のために奮闘する義朝(玉木宏)に共感する。
義清は西行として今後も折りにふれて登場してくるでしょうが、清盛や義朝、あるいは宮廷のことを美に生きる彼がどう見たかを描いてほしいですね。
<優雅に美しく生きたい>と思う義清(藤木直人)。
しかし、璋子(檀れい)との恋はそれを妨げるものであったようだ。
まず璋子の心は鳥羽院(三上博史)にあることがわかってしまった。
璋子の目が空っぽでなくなり、感情が生まれた時、そこに映っているのは<義清>であるはずだった。
恋が成就し、璋子が義清のみを見つめるようになった瞬間、美しく生きたいと思う彼の志は完結するはずだった。
なのに璋子は水仙を探した。
鳥羽院も水仙を見に行った。
まあ、これだけなら失恋の歌でも詠んで、義清の美学は保たれただろう。
冒頭、義清は清盛(松山ケンイチ)の妻・明子(加藤あい)に袖にされたというせりふがあった。
彼にとっては女性にフラれることも雅(みやび)なことなのだ。
しかし璋子はやはり魔性の女性だった。
璋子の心が自分にないことを知ると、逆上して首を絞めてしまう。
これは、優雅に美しく生きたいと思う義清にとっては絶対にあり得ないこと。醜い行為。
なのに我を忘れてやってしまった。
あるいは自分がしたことで鳥羽院に罰せられれば、まだ美学は保たれただろう。
<恋に殉じた男>になれる。
しかし、それもかなわなかった。
そして妻と娘。
清盛は「今回のことを妻と娘に心の中で詫びろ」と義清を諫める。
しかし、詩人の義清には、美しく生きる自分の行動を妨げ、謝罪しなければならない存在など邪魔なものでしかない。
桜の花びらを「美しい」という娘の感性など、当たり前で俗っぽすぎて腹が立つ。
娘の言葉を受けて「ああ、美しいな」と言ってしまう自分も許せない。俗な普通の人間に成り下がってしまったようだ。
だから娘を蹴飛ばしてしまった。
美しく生きたいと思った男が美しく生きられなくなった時、行うことは世を捨てること。
このまま世間に生きていては、世俗にまみれ、自分はダメになってしまうと義清は考えたのであろう。
こういう義清の詩人の生き方はどうだろう。
僕は家族や一族郎党を大事にする清盛や、勢力拡大のために奮闘する義朝(玉木宏)に共感する。
義清は西行として今後も折りにふれて登場してくるでしょうが、清盛や義朝、あるいは宮廷のことを美に生きる彼がどう見たかを描いてほしいですね。