韓流ドラマ『ソウル1945』は、日本の敗戦・朝鮮半島の独立・朝鮮戦争・南北分離までを描いたドラマである。
この作品を見ると、戦中・戦後の朝鮮半島の歴史がよくわかる。
名もなき民衆の息づかいや歴史に翻弄させる姿も。
メインの登場人物は4人。
侍女で後に半島ホテルのマネージャーになるヘギョン。
故郷・咸興の秀才で、社会主義運動を行っていくウニョク。
天才ピアニストでお嬢様のソッキョン。(ヘギョンは彼女の侍女だった)
そして名門家一家の御曹司で、心優しいドンウ。
面白いのは彼ら4人の境遇が、歴史の変転によって、どんどん変わっていくことだ。
日本が朝鮮半島を統治していた時は、日本の軍閥・政治家に寄り添っていたソッキョンやドンウの一家は隆盛を誇っている。
ソッキョンは「お嬢様」と、ドンウは「お坊ちゃん」と呼ばれ、苦労知らず。
ところが日本が負けて、朝鮮が解放されると、日本と歩みを共にすることで利益を得ていたソッキョンたちの家族は糾弾される。
実際、ソッキョンの父親は、<売国奴>とののしられ、誇りを踏みにじられることを潔しとせず、切腹する。
隆盛を誇っていた者が衰えて滅びるのは、歴史の必然だが、まさにそれがソッキョンたちの上にも襲いかかる。
ところが今度は南北対立が起きる。
すると南朝鮮では、保守派が台頭し、今まで忍従を強いられていたソッキョンやドンウの父親が再び勢いを取り戻していく。
逆に解放された朝鮮の国家像を<社会主義国家>に置いて活動していたウニョクは<アカ>として逮捕・糾弾され、ウニョクと婚約していたヘギョンも巻き込まれ、死刑で銃殺されそうになる。
ところがここで三たび境遇の逆転が起きる。
朝鮮戦争が起こり、ソウルが北朝鮮によって占領されると、今度は<人民の敵>としてソッキョンやドンウの父親が逮捕・糾弾される。
逆に社会主義運動を行っていたウニョクは政府の要職に抜擢され、ヘギョンは<人民の英雄>として賞賛される。
すごいですね、この変転。
激動の歴史に生きた人々ならではのドラマ。
主人公のヘギョンなどは、別に<社会主義>や<共産主義>を思想として持っていたわけではない。
ただの普通の庶民で、家族を大事にし、恋人ウニョクと幸せになりたいと願って生きてきただけ。
なのに、ウニョクを守ったその行動から<人民の英雄>に祭り上げられてしまう。
逆にソッキョンは<人民の敵>として糾弾され、<自我批判>を強いられる。
「わたしは間違っていました。わたしは多くの人民を搾取して、苦しめてきました。わたしは思想を改めます」と<自我批判>するソッキョン。
今までの豪華な服はブルジョワの服であるため、人民服も着る。
彼女は別に思想を改めたわけではないが、死刑にならないためには表面上はそうするしかないのだ。
しかし、ここで四たび境遇の変転が起きる。
アメリカを中心とする国連軍が盛り返し、南朝鮮がソウルを奪回するのだ。
するとウニョクは逆に追われる身になり、<人民の英雄>ヘギョンは逮捕される。
このように『ソウル1945』は、歴史の流れの中で翻弄されながらも必死に生きる人々の姿を描いた秀作である。
先程述べたように、主人公のヘギョンたちの行動は、ウニョクを除いて、<社会主義・共産主義の思想>から出たものではない。
ただ、家族と愛する人と幸せに暮らしたかっただけ。
なのにそれを許さない歴史という怪物。
この作品を見ると、思想やイデオロギーとは何なのかと考えさせられますね。
思想やイデオロギーがあるから争いが起きる。
同じ朝鮮民族なのに、どうして北と南で憎み合い、殺し合わなくてはならないのか?
これは現在の紛争やテロも同じで、過激な宗教思想が(宗教自体は人々に心の拠り所と安らぎを与えるもので悪くないのだが)争いの原因になっている。
さてラスト。
ネタバレになるので、これからご覧になる方はパスしてほしいのですが、五たび境遇の逆転が起きる。
それは……
死刑になりそうになるヘギョンを、ソッキョンが逃がすのだ。
その時に彼女らはこんなことをする。
ヘギョンが<雨月夕景>というお嬢様になり、ソッキョンが侍女になる。
これは、ヘギョンを日本に逃がすための偽装なのだが、ここで<境遇の逆転>が起きている。
ただし、これは歴史の流れの中で強制されたものでなく、彼女たち自らの意思で行った<境遇の逆転>。
この違いは大きい。
何しろ彼女たちは自らの意思で<境遇の逆転>をすることで、歴史の流れに抵抗したのだ。友を守ったのだ。
『ソウル1945』は<境遇の逆転>のドラマである。
その<境遇の逆転>というモチーフを、ラストで<ヘギョン救出>というドラマに結びつけた所が実にあざやか。
この作品を見ると、戦中・戦後の朝鮮半島の歴史がよくわかる。
名もなき民衆の息づかいや歴史に翻弄させる姿も。
メインの登場人物は4人。
侍女で後に半島ホテルのマネージャーになるヘギョン。
故郷・咸興の秀才で、社会主義運動を行っていくウニョク。
天才ピアニストでお嬢様のソッキョン。(ヘギョンは彼女の侍女だった)
そして名門家一家の御曹司で、心優しいドンウ。
面白いのは彼ら4人の境遇が、歴史の変転によって、どんどん変わっていくことだ。
日本が朝鮮半島を統治していた時は、日本の軍閥・政治家に寄り添っていたソッキョンやドンウの一家は隆盛を誇っている。
ソッキョンは「お嬢様」と、ドンウは「お坊ちゃん」と呼ばれ、苦労知らず。
ところが日本が負けて、朝鮮が解放されると、日本と歩みを共にすることで利益を得ていたソッキョンたちの家族は糾弾される。
実際、ソッキョンの父親は、<売国奴>とののしられ、誇りを踏みにじられることを潔しとせず、切腹する。
隆盛を誇っていた者が衰えて滅びるのは、歴史の必然だが、まさにそれがソッキョンたちの上にも襲いかかる。
ところが今度は南北対立が起きる。
すると南朝鮮では、保守派が台頭し、今まで忍従を強いられていたソッキョンやドンウの父親が再び勢いを取り戻していく。
逆に解放された朝鮮の国家像を<社会主義国家>に置いて活動していたウニョクは<アカ>として逮捕・糾弾され、ウニョクと婚約していたヘギョンも巻き込まれ、死刑で銃殺されそうになる。
ところがここで三たび境遇の逆転が起きる。
朝鮮戦争が起こり、ソウルが北朝鮮によって占領されると、今度は<人民の敵>としてソッキョンやドンウの父親が逮捕・糾弾される。
逆に社会主義運動を行っていたウニョクは政府の要職に抜擢され、ヘギョンは<人民の英雄>として賞賛される。
すごいですね、この変転。
激動の歴史に生きた人々ならではのドラマ。
主人公のヘギョンなどは、別に<社会主義>や<共産主義>を思想として持っていたわけではない。
ただの普通の庶民で、家族を大事にし、恋人ウニョクと幸せになりたいと願って生きてきただけ。
なのに、ウニョクを守ったその行動から<人民の英雄>に祭り上げられてしまう。
逆にソッキョンは<人民の敵>として糾弾され、<自我批判>を強いられる。
「わたしは間違っていました。わたしは多くの人民を搾取して、苦しめてきました。わたしは思想を改めます」と<自我批判>するソッキョン。
今までの豪華な服はブルジョワの服であるため、人民服も着る。
彼女は別に思想を改めたわけではないが、死刑にならないためには表面上はそうするしかないのだ。
しかし、ここで四たび境遇の変転が起きる。
アメリカを中心とする国連軍が盛り返し、南朝鮮がソウルを奪回するのだ。
するとウニョクは逆に追われる身になり、<人民の英雄>ヘギョンは逮捕される。
このように『ソウル1945』は、歴史の流れの中で翻弄されながらも必死に生きる人々の姿を描いた秀作である。
先程述べたように、主人公のヘギョンたちの行動は、ウニョクを除いて、<社会主義・共産主義の思想>から出たものではない。
ただ、家族と愛する人と幸せに暮らしたかっただけ。
なのにそれを許さない歴史という怪物。
この作品を見ると、思想やイデオロギーとは何なのかと考えさせられますね。
思想やイデオロギーがあるから争いが起きる。
同じ朝鮮民族なのに、どうして北と南で憎み合い、殺し合わなくてはならないのか?
これは現在の紛争やテロも同じで、過激な宗教思想が(宗教自体は人々に心の拠り所と安らぎを与えるもので悪くないのだが)争いの原因になっている。
さてラスト。
ネタバレになるので、これからご覧になる方はパスしてほしいのですが、五たび境遇の逆転が起きる。
それは……
死刑になりそうになるヘギョンを、ソッキョンが逃がすのだ。
その時に彼女らはこんなことをする。
ヘギョンが<雨月夕景>というお嬢様になり、ソッキョンが侍女になる。
これは、ヘギョンを日本に逃がすための偽装なのだが、ここで<境遇の逆転>が起きている。
ただし、これは歴史の流れの中で強制されたものでなく、彼女たち自らの意思で行った<境遇の逆転>。
この違いは大きい。
何しろ彼女たちは自らの意思で<境遇の逆転>をすることで、歴史の流れに抵抗したのだ。友を守ったのだ。
『ソウル1945』は<境遇の逆転>のドラマである。
その<境遇の逆転>というモチーフを、ラストで<ヘギョン救出>というドラマに結びつけた所が実にあざやか。