平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

相棒10 「罪と罰」~「君に人殺しをさせる訳にはいかないじゃありませんか」

2012年03月22日 | 推理・サスペンスドラマ
 「存外ずるいですねぇ君は……。君に人殺しをさせる訳にはいかないじゃありませんか」

 右京(水谷豊)さんって、「存外」って言葉を使うんだ。
 なかなか使わない新鮮な言葉。

 まあ、それはともかく、法に厳格だった右京さんが自分を曲げた。
 人類のエネルギー問題を解決する<バクテクロリス>(エピソード「あすなろの唄」)の時は見逃さなかったのに。
 それは相棒・神戸尊(及川光博)に「人殺し」をさせないため。相棒への愛情ゆえ。
 生まれたクローン人間が怪物として迫害されるという神戸の考えへの理解もあったのかもしれない。

 しかし右京は同時に失われたものがあることも神戸に語る。
 それは殺された兄・隼斗(窪塚俊介)。
 隼斗は<誠実な愛情深い宗教者>であったのに告発しないことで<狂的な宗教者>になってしまった。
 何かが救われれば、一方で何かが失われるのだ。何かを得れば何かを失うのだ。
 だから神戸の主張は一見正論のように見えるが、一方で隼斗を<狂的な宗教者>にしてしまうというマイナスももたらしたことを右京は語る。
 このテーマの深化はさすが『相棒』。

 そして事件の本当の解決。
 これは神の手に委ねられた。
 クローンの赤ん坊の命が失われたことで、母・嘉神郁子(真野響子)は自首を決意する。
 クローン人間を作ろうとしていた罰を法的に受けようとする。
 右京が望んでいた事件の解決だ。
 クローンの赤ん坊の存在を許さないことが<神の意思>だとしたら、郁子の自首は<神>がもたらしたものであるとも言える。

 そして<杉下右京>という刑事のアイデンティティもかろうじて保たれた。
 右京さんは、あくまで<厳格な法の執行者>でなければならないんですね。
 情に流されて妥協してしまっては、今まで真実を暴くことで不幸にしてしまった人間たちに言い訳が出来ない。
 一度妥協を許してしまったら、妥協は今後も繰り返されていく。
 情に流されるのは探偵の<マーロウ矢木>であって、<杉下右京>であってはならない。
 エピソード「逃げ水」でも右京はこんなことを言っている。
 「それ(真実を明らかにすることの残酷さ)に耐えられないようなら、人に罪を問うべきではない。僕はそう思っています」
 今回は右京が唯一妥協してしまった事例ですが、その解決を<神の手>に委ねた所が面白い。
 推理ドラマとしては、事件の全容・犯人の動機が見え見えで今ひとつなんですけどね。
 面白かったのは、黒いコートのくだりかな。

 最後に神戸尊。
 尊は本当に心優しい人物だった。
 最初は冷たい官僚タイプの人間かと思っていたが、人一倍他人の痛みに共感できる感受性の持ち主だった。
 エピソード「贖罪」の城戸の死もずっと背負っていたし。

 お疲れ様でした。
 将来、警察庁の官僚として右京をバックアップする時も来るんでしょうね。
 どんなふうに再登場するのか楽しみです。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする