主人公サチ(尾野真千子)にあるのは、足尾銅山によって故郷を奪われた<怒り>。
そして、自分の気持ちを素直に表現できる<強さ>。
サチは協力を求める刑事に叫ぶ。「嫌なものは嫌なんです!」
石川啄木(渡辺大)に対しては「この詩が好きです」「花火を見たいです」
また、足尾銅山の副社長で内務大臣であった原敬(國村隼)には、足尾銅山の廃止を訴え、思いあまって石をぶつける。
この石を投げてぶつけるという行為は、なかなか象徴的だ。
サチはひらがなしか読めないし、本も読めない。
つまり自分のもやもやした気持ちや考えを十分に語ることができない。
だから相手に通じないとわかると、石を投げることしかできない。
福田英子(鈴木保奈美)だったら、おそらく言論で訴えるだろうし、田中正造(柄本明)だったら法律や政治で訴えるだろう。
サチは学ぶことの大切さを痛感したに違いない。
学ぶことによって、世界を深く知ることが出来るだろうし、深く自分を語れるようになる。
さてラスト。
田中正造はサチにこんなことを尋ねた。
「君はこの二年間、東京で何を見た? 何を学んだ?」
サチが見たものは
・英子のように権力と闘っている人がいること
・英子の石川三四郎(北村有起哉)への愛憎
・詩への共感、喜び
・石川啄木の理想と現実のギャップと苦悩
・英子の人を許す気持ち
・戦争の負傷者に寄り添う看護婦
・英子の母、楳子(藤村志保)の孤独 など。
このように、若いサチにはまだまだ学ぶことがたくさんあるのだ。
見て、知って、考えるべきことがいっぱいあるのだ。
彼女には無限の未来がある。
だからラストシーンで、サチが道を歩いていく姿は感動的だ。
そして、自分の気持ちを素直に表現できる<強さ>。
サチは協力を求める刑事に叫ぶ。「嫌なものは嫌なんです!」
石川啄木(渡辺大)に対しては「この詩が好きです」「花火を見たいです」
また、足尾銅山の副社長で内務大臣であった原敬(國村隼)には、足尾銅山の廃止を訴え、思いあまって石をぶつける。
この石を投げてぶつけるという行為は、なかなか象徴的だ。
サチはひらがなしか読めないし、本も読めない。
つまり自分のもやもやした気持ちや考えを十分に語ることができない。
だから相手に通じないとわかると、石を投げることしかできない。
福田英子(鈴木保奈美)だったら、おそらく言論で訴えるだろうし、田中正造(柄本明)だったら法律や政治で訴えるだろう。
サチは学ぶことの大切さを痛感したに違いない。
学ぶことによって、世界を深く知ることが出来るだろうし、深く自分を語れるようになる。
さてラスト。
田中正造はサチにこんなことを尋ねた。
「君はこの二年間、東京で何を見た? 何を学んだ?」
サチが見たものは
・英子のように権力と闘っている人がいること
・英子の石川三四郎(北村有起哉)への愛憎
・詩への共感、喜び
・石川啄木の理想と現実のギャップと苦悩
・英子の人を許す気持ち
・戦争の負傷者に寄り添う看護婦
・英子の母、楳子(藤村志保)の孤独 など。
このように、若いサチにはまだまだ学ぶことがたくさんあるのだ。
見て、知って、考えるべきことがいっぱいあるのだ。
彼女には無限の未来がある。
だからラストシーンで、サチが道を歩いていく姿は感動的だ。