平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

細川元首相の都知事出馬会見映像~<高度な文明社会>なのか? <自然と共存していく社会>なのか?

2014年01月22日 | 原子力発電・反対
 細川護煕・元首相の都知事選出馬記者会見。
 共感します。
 立派な問題提起だったと思います。
 僕も福島の原発事故で「今の高度な文明社会のままでいいのか?」って思いましたから。
 細川さんの言葉を借りれば、目指すべき社会は
 <腹一杯でなく腹七分目の豊かさで良しとする、心豊かな幸せを感じ取れる社会>。
 そして争点を要約すれば、
 <電気を大量消費する高度な文明社会>なのか? <自然と共存していく社会>なのか?
 <成長>なのか? <共存>なのか?
 細川さんの言う後者は夢物語なのだろうか?
 でも、<自然と共存していく社会>の方が絶対に豊かだと思う。
 <成長がすべてを解決するという傲慢な資本主義からは幸せは生まれない>という細川さんの言葉に共感する。
 この細川さんの問題提起は東京都民だけでなく、日本人にも問われている問題でもある。
 これをどう受けとめ、どう考えるか?

※YouTubeの記者会見映像はこちら。
 細川護煕出馬会見・その1 はこちら

 細川護煕出馬会見・その2 はこちら

※会見の抜き書きは以下です。

 今の国の目指している方向、進め方に問題がある。
 今までのような経済成長至上主義ではやっていけない。
 腹一杯でなく腹七分目の豊かさで良しとする、心豊かな幸せを感じ取れる社会へ。
 成熟社会へのパラダイムへの転換。
 世界が生きのびるためには、豊かな国がその生活のスタイルを多消費型から共存型へ変えていく。
 成長がすべてを解決するという傲慢な資本主義からは幸せは生まれない。

 成長のためには原発は不可欠だと言って政府が原発を再稼働しようとしている。
 そのことに私は危機感を持つ。
 ひとたび事故が起きれば、国の存亡に関わる大事故になる。

 福島4号機は大丈夫なのか。
 汚染水は本当に漏れていないのか。
 核のゴミ捨て場がない。
 原発がなければ日本は成り立たないという人がいるが、この2年間(大飯原発をのぞけば)原発は動いていない。
 原発開発推進事業で天文学的な費用がかかっている。
 この費用を自然エネルギーに投入すべき。
 これが新技術を生み出し、成長の切り札にする。新しい雇用にもなる。
 今、方向転換しなければ、50年、100年後も日本は原発依存の国になる。
 <自然エネルギー大国・日本を世界>にアピールしていく。
 原発がなくても日本は発展していける。

 自然エネルギー大国・日本という国に。
 大量消費ではなく、質と実のある国に。

 現在は文明史の折り返し点。
 環境、有限の資源の中、経済や生活の転換を迫られている。
 福島の原発事故は転換を着手しない我々への警報ではなかったでしょうか?

 文明史的な転換を東京を通じて行っていく。

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「原発即ゼロ」は無責任か?~原発推進派は3・11から何を学んだのだろう?

2014年01月22日 | 原子力発電・反対
 都知事候補の舛添さんは、20日、福井市内の講演で
「長期的には原発をなくしていく方向にしないといけない。ただ『今日から脱原発』と言って代替案がないのは無責任だ」
 と発言したらしいんだけど、これ、よくわからないんですよね。

 だって今は原発が動いていないから。
 原発が動いてなくて全然困ってない。

 問題なのは、火力発電を動かす原油代で、何兆円かのお金が海外に出ていくことでしょう?
 桝添さんはここを話さなくちゃ。
 ここから国民的議論を始めるべき。

 ただ、この原油代にも問題がある。
 電力会社は原油の安定確保という理由で、通常よりはるかに高い価格で買っている。
 これを交渉で改めなければ。

 原油輸入で何兆円かのお金が出ていくのは、現在のアベノミクスがもたらした<円安>も影響している。
 以前の<円高>なら原油はもっと安く買える。
 その他にも、自動車のガソリン代や灯油代が上がり、生活はますます苦しくなっている。
 農家のビニールハウスの温度維持にもかかわるから野菜代にも影響している。
 アベノミクスって本当にいいのだろうか?

 話を戻すと、安全保障のために即原発ゼロは難しいという人がいる。
 確かに中東で戦争が起きれば、原油が高騰し、日本に入ってくるのも難しくなるかもしれない。
 しかし、供給先はロシア(天然ガス)とかアメリカ(シェールガス)とか中東以外にもあるわけで、新たな供給先の確保の努力をすべきだ。
 どうも電力会社は、原発維持のためにこうした努力を怠っているような気がする。

 では、なぜ電力会社は原発維持にこだわるのか?
 それは、もし今ここで、原発即ゼロの方針が打ち出されたら、電力会社の保有する原発は、ただの<鉄の塊>で、<不良債権>になってしまうからだ。
 だから、電力会社は経済産業省(当然、電力会社への天下りがある)に陳情し、<不良債権>は銀行も財務省も困るから原発維持を唱え、政治家もそれらを受けて「原発即ゼロは無責任だ」と言っている。

 だが、「原発即ゼロは無責任」なのだろうか?
 無責任なのは原発推進の方ではないのか?
 なぜなら<核のゴミ>の処分方法、処分場が決まっていないから。
 現在の人間の豊かさのために、というより電力会社と一部の官僚、政治家、銀行のために、
 <核のゴミ>を10万年も後の世代に押しつけていいのか?

 あるいは、もし、どこかの国と戦争が起これば、ミサイルの攻撃ターゲットとして真っ先に狙われるのは原発だ。
 どんなに高性能な戦闘機、艦船、武器装備を持っていたとしても、原発ひとつを攻撃されてしまえば、それでおしまい。
 安全保障の面からでも原発はよろしくない。

 それに「原発の電力は安い」というが本当だろうか?
 十分な安全対策や廃炉の費用を考えたら決して安くないのではないか?
 そして、もし万が一重大事故が起きれば、除染・賠償の費用で電力会社ひとつが倒産するくらいの費用がかかる。

 というわけで「原発即ゼロ」は無責任ではない。
 小泉元首相ではないが、政府が「原発即ゼロ」の方針を打ち出した時点で、企業はビジネスチャンスとして新たな電力開発に動き出す。
 新たな雇用も生まれる。
 政府が明確な方針を打ち出さないから、企業は危なっかしくて新たな電力開発に踏み出せない。

 電力会社と一部の官僚、政治家、銀行のために維持される原発。
 これはおそらく国を滅ぼす。
 原発推進派は3・11から何を学んだのだろう?


コメント (2)
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