平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

真田丸 第7回「奪回」~思うようにいかぬのがこの世、望みを捨てなかった者のみに道は開ける

2016年02月22日 | 大河ドラマ・時代劇
 祖母・とり(草笛光子)の奪還作戦。
 信繁(堺雅人)はいつもいい所までいくのだが、どうも最後の詰めが甘い。
 結局、失敗して元の木阿弥。

 まだ未熟なんですね。
 才知のひらめきはあるのだが、本物になっていない。
 もっとも父・昌幸(草刈正雄)のように、海千山千のなれというのも無理な話。
 このことについて、昌幸は言う。
「失敗続きじゃな。
 お前がなぜしくじるか分かるか?
 己の勘に頼り過ぎるからじゃ。
 わしも勘だけで生きておる。
 だが、わしの勘は場数を踏んで手に入れた勘じゃ。
 それでもたまには間違える」

 <場数を踏んで>
 そう、信繁には場数が足りないのだ。
 だから、昌幸はいろいろとミッションを与え、信繁に場数を踏ませようとしている。
 今度の上杉家の春日信達の調略もそう。
 失敗して学んで、人は大きく強くなっていく。
 策略もリアリティのあるしっかりしたものになる。

 失敗についての昌幸の言葉も興味深い。
「源三郎は間違いは少ないが、くそ真面目で面白くない。
 お前は過ちを犯すが面白い。
 面白くなくては人は動かん」

 喜劇を書いてきた三谷幸喜さんらしい言葉ですね。
 喜劇の登場人物たちは皆、一生懸命で失敗ばかりしている。
 そんな人物たちを三谷さんは愛している。

 おばばさま(草笛光子)の言葉も深い。
「思うようにいかぬのがこの世」

 明解で単純なことなんですけど、人はなかなかこれを認めることができない。
 他人はそうかもしれないけど、自分だけはうまく行くと思っている。
 若い時は特にそうだ。
 思うようにいかないことで悲観して自殺したり、社会に恨みをもって自暴自棄な犯罪に走ったりする。
 でも、「思うようにいかぬのがこの世」と認識できた時、人は少し楽に生きられる。
 昌幸のように、思うようにいかないことを「たまには間違える」と言って、楽しめるようになる。

 おばばさまは、さらに続ける。
「大事なのは思うようにいかぬ時、いかに振る舞うか。
 源次郎、諦めてはなりませぬ。
 望みを捨てなかった者のみに道は開ける」

 これもまた三谷さんが、映画『マジックアワー』やドラマ『古畑任三郎』の津川雅彦回で言ってきたこと。
 今回は三谷幸喜さんのメッセージが詰まった内容でした。
 信繁はこうやって少しずつ成長していくのでしょうね。

 人間の描き方も上手いですね。
 滝川一益(段田安則)は人を簡単に信じてしまういい人。
 沼田城と岩櫃城も返すといい、またいっしょに酒を飲もうと昌幸に言う。
 視聴者は、こういう人だから清洲会議に間に合わなかったんだよな、と納得できる。
 だが一方で、信濃を通るために人質を木曽義昌(石井愃一)に渡すようなドライさや知恵も持っている。
 人物描写は一面的ではつまらないんですよね。
 善と悪、軟と硬、さまざな面を描くことで、人物に幅が出てリアリティが生まれてくる。

 木曽義昌も二面性。
 とんでもなく粗野で乱暴な男&おばばさまに頭が上がらない子供のような人。
 このギャップがいいんですよね。
 おばばさまに頭が上がらないことが<信繁解放>にも繋がった。
 なるほど、こういう物語の進行のさせ方もあるのか。

 きり(長澤まさみ)は、ウザい困ったちゃん。
「この子、うるさい!」
 と、おばばさまにも言われてしまった(笑)
 でも、このうるさくて鬱陶しいことが<きり解放>に繋がった。
 すごい伏線の張り方だなぁ。
 きりに関しては、作品全体を通した仕掛けが施されているように思える。
 すなわち前半は<鬱陶しい嫌な子>と描いておいて、後半で<とんでもなく魅力的な子>として描くギャップ萌えの仕掛け。

 最後は地図。
 この作品、地図の使い方が上手いですね。
 これで、真田家を取り巻く勢力関係がよくわかる。
 沼田城、岩櫃城、小諸城、福島城など地味~な城にもスポットライトがあたっている。
 この地図の製作はシブサワコウさんらしいが、ゲーム『信長の野望』を真田家でプレイしているかのような錯覚を受ける。

コメント (2)
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