平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

真田丸 第8回「調略」~おぬし、わしのようになりたいと申しておったな。わしのようにはなるな

2016年02月29日 | 大河ドラマ・時代劇
 上杉、北条を手のひらの上で転がした昌幸(草刈正雄)。
 結果、北条は徳川と戦い、上杉は去り、信濃は空っぽに。
 計略が上手くいった瞬間だ。
 しかも、昌幸はこれで兵をひとりも失っていない。
 大成功と言えるだろう。

 しかし、光あるところには陰がある。
 この計略は、春日信達(前川泰之)の犠牲の上に成り立っていた。
 春日の裏切りには、もちろん一城の主になりたいという出世欲もあっただろう。
 だが一方で〝武田家の家臣〟でありたいという思いもあった。
 海津城の城主となることで、〝武田家の家臣〟であった、かつての自分を少し取り戻せる。
 そんな純粋な思いがあったに違いない。
 情緒もそれを後押しする。
 たとえば、こんなせりふ。
「香坂弾正と真田安房守の子が上杉の城で花を眺めておる。世の流れとは不思議なものだな」

 しかし、<純粋さ>とか<情緒>は利用されるのだ。
 叔父の真田信伊(栗原英雄)は、
「人は理屈で固められるとむしろ心を閉ざす」
 と語ったが、人は<理屈>よりは<情緒>で動く。
 あるいは、<純粋さ>は今回のようにつけ込まれ、理屈を霧散させ、悪意ある者によって利用される。

 <純粋さ>という点では、信繁(堺雅人)もそうだ。
 信繁は純粋に、春日信達が海津城の城主になれたことを喜んでいた。
 一方、春日信達は、信繁が純粋であったため彼を信じた。
 純粋な者どうしの共感だ。
 おそらく信繁が腹に一物を持っていたら、春日は調略に乗らなかっただろう。
 昌幸が信繁を派遣した理由はここにある。

 上杉景勝(遠藤憲一)も<純粋>な人ですよね。
「わしは春日信達を買っておった。上杉を支えてくれる男だと思っておった。
 越後では家臣が謀反を起こした。つくづく人の心は分からぬものだな」
 上杉家の理想であった<義>は完全に廃れてしまった。
 人の心は必ずしも美しくないことを知り、自分の信じていたものがガラガラと崩れ去ってしまった。
 だから景勝は哀しい。

 さて信繁。
 まだまだ<純粋>な彼は、今回のことをどう整理し、結論づけるのか?
「源次郎、おぬし、わしのようになりたいと、いつぞや申しておったな。
 これだけは言っておく。わしのようにはなるな」
 後に信繁は滅びゆく豊臣家に殉ずるわけだが、最後まで純粋さを残していくのかもしれない。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする