平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

鎌倉殿の13人 第21回「仏の眼差し」~八重の仏の眼差し。一方、祟りと天罰の物語が始まる!

2022年05月30日 | 大河ドラマ・時代劇
 奥州藤原氏を滅ぼして武士の頂に立った頼朝(大泉洋)。
 しかし、おこなった非道ゆえか、よくないこと起こる。
 壊れ始めた大姫(南紗良)。
 そして八重(新垣結衣)……。
 これはバチが当ったのか? 祟りなのか?
 頼朝は「正しかったか、間違っていたか、決めるのは天」と言っていたが……。

 確かに何かを得れば何かを失うのが世の中の理(ことわり)。
 絶対的な善や悪はないと思うが、やるかやらないかはその人間の節度。
 自分がおこなった理不尽な行為や非道に心を痛める者もいる。
 義時(小栗旬)もそのひとりだ。
 そんな悩む義時に八重は言う。
「もっと自信を持って下さい。北条家がなければ鎌倉殿は今もただの流人。
 あなたが今の鎌倉をお作りになったのです。今のは言い過ぎました(笑)」
 いい夫婦になりましたね。

 八重の死は、運慶の阿弥陀如来像とのカットバックで描かれた。
 地上に生きるすべての者に慈愛の眼差しを向け、救う阿弥陀如来像。
 その姿は、困難にある子供たちの面倒を見る八重に重なる。
 川で溺れそうになった鶴丸を救った八重にも重なる。
 その背景には川で殺された千鶴丸への思いもあっただろうが。

 八重の死はさまざまに読み取れる。
 八重はなぜ川の中で動かなかったのか?
「助けて!」と声をあげなかったのか?
 これは平家・義仲・義経らの祟りだったのかもしれない。
 あるいは、
 千鶴丸が母を求めて手放さなかったのかもしれない。
 いずれにしても阿弥陀如来の力は及ばなかったようだ。

 そして今回、阿弥陀如来を通して語られた「母」というモチーフ。
 生命を愛し、生きとし生ける者を救う母のイメージは後の北条政子(小池栄子)に繋がるのかもしれない。
 ………………………

 父・時政(坂東彌十郎)は相変わらず頼もしい。
 後白河法皇(西田敏行)を前にしてもマイペース。
 すごろくでは「法皇様と言えど、ズルはいけません」
 ずっと都にいてくれと言われると「私には美しい妻がおりますので鎌倉に帰ります」
 時政は「大事なのは心」と言っていたが、忖度なく「心」で法皇に接している。

 後白河法皇も忖度や駆け引きではなく「心」で接する存在を求めていたのかもしれない。
 頼朝の力が絶大になると、後白河法皇いはく、
「こんな時に平家がいたらなぁ。義仲、義経、なぜ滅んだ?」
「お前が悪い。なぜわしを止めなかった?」
 何とも自分勝手な人物だ。
 でも、すべては権謀術数に走り、心で接して来なかった結果。
 義仲や義経なんかはまっすぐな心で向き合っていたのだが、法皇はそれに応えなかった。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「曠原淑女」 宮沢賢治~あ... | トップ | 乃木坂スター誕生!~中西ア... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
八重の死 (コウジ)
2022-05-31 08:43:19
TEPOさん

いつもありがとうございます。

>「母上は金剛の母上なのに自分だけじゃダメなのか」
結構ドキッと来るせりふでしたよね。
逆になぜ八重が「孤児院の院長」を始めたのかも考えてしまいました。
おそらく子供が泣いたり苦しんでいるのを見ていられない思い=千鶴丸への供養の意味もあるんでしょうね。

そして「遅延した千鶴丸の後追い入水」
もしこう考えると、八重の心情にはせつないものがありますね。
同時に深い闇も。
義時や金剛や孤児院の子供たちよりも千鶴丸を選んだのですから。
千鶴丸のことは八重の心の中にトゲとしてずっと刺さっていたんでしょうね。
これが鶴丸救出で発現した……。

八重の死が次回どのように表現されるのでしょうね、
単なる水難事故として描かれるのか?
それとも八重の心情に踏み込むのか?

あとは、おっしゃるとおり鶴丸と金剛の確執。
さてこれもどう描かれるのか?
返信する
(千)鶴丸の母 (TEPO)
2022-05-30 16:32:58
公式HP、新垣結衣さんのインタビュー(動画の方)に次のような言葉がありました。
>[金剛が]「母上は金剛の母上なのに自分だけじゃダメなのか」とちょっと言いづらそうに言う場面で、それだけ思い切らないと自分の願望を素直に発言させてあげられない状況になってしまっている今に気づいた瞬間は、やっぱり「本当にごめん」という気持ちになりましたね。

「孤児院の院長」に生きがいを見出す点は、「進撃の巨人」で女王になってからのヒストリアを思わせます。
ヒストリアは物語の結末まで生きていましたが、「女神様」と呼ばれていました。
つまり、そうした生き方はどこかこの世離れした「聖女性」を示しており、たとえばカトリックの修道女のような立場の人にしっくりとくるものです。
八重の最期を運慶の阿弥陀如来像と重ね合わせたのは、そうした宗教的雰囲気を示唆する演出として実に的確だったと思います。
現時点までの八重の人生には二面性がありました。
① 義時の妻、金剛の母
② 「シスター八重」、(千)鶴丸の母
こうして修道女に喩えてみれば、一人の男性の妻、その子の母である①と、聖女志向の②との間の「矛盾」、少なくとも「緊張関係」は明らかになると思います。

しかしながら、八重にあって①も真実であったことは、今回中盤での義時との愛情確認―作劇的に見れば愚直なまでに「ベタ」な「フラグ」でしたが―示しています。
他方、②はやはり千鶴丸の死が大きな要因となっており、今回の八重の最期は「事故死」でありながら、名前がほとんど重なる「鶴丸」の命と引き換えでの「遅延した千鶴丸の後追い入水」ということで、公式的な「史実」とも整合性をとったと見ることもできるでしょう。

金剛の台詞は、あどけない子供の言葉でありながら、①と②との矛盾を鋭く突いてくる深いものであり、これに対して「本当にごめんという気持ち」が内側から湧いてきたというところに、役と自分との人格を重ね合わせる新垣さんの「女優魂」が見て取られ、感服しました。

八重の二面性は、金剛と鶴丸という二人の少年の関係に引き継がれています。
義時後の世代となりますが、金剛の将来はあの「御成敗式目」の泰時、つまり執権政治安定期の名君となるのでしょうが、問題は鶴丸の将来です。
おそらく二人の少年の間には確執が予想されますが、「母のまなざし」のもとに二人がそれを乗り越えたならば、ことによると鶴丸は泰時の「無二の忠臣」となるのかもしれません。
返信する

コメントを投稿

大河ドラマ・時代劇」カテゴリの最新記事