義時(小栗旬)は武将というよりは能吏・行政官タイプのようだ。
鎌倉に入ると町の配置や武将たちの調整を任されるようになった。
まあ、本人も言っているように「木簡を数えるのが好きな人」ですからね。
とはいえ、まだ未熟。
武将たちの要望をぜんぶ聞いてしまう。
知恵も足りない。
頼朝(大泉洋)と板東武者たちの軋轢が生まれると、どう調整していいかわからない。
一方、三浦義村(山本耕史)は『武衛』という言葉だけで解決してしまった。
「武衛、こっちに来て飲め!」
「俺たちは武衛だ!」
後半はグダグダだったけど。笑
武田信義(八嶋智人)との交渉でも、信義の加勢は難しいと決めつけていた。
だが状況が変われば、人の考えも変わる。
平家の追討軍の攻撃を真っ先に受けるから、頼朝の力を借りざるを得ない。
これを頼朝は見抜いていたが、義時は見抜けなかった。
義時にはまだ学ぶことが多そうだ。
だが資質はある。
前回は上総広常(佐藤浩市)を味方にしたし、今回は武田信義。
そして梶原景時(中村獅童)。
頼朝を始め、さまざまな人に揉まれて成長していくのだろう。
しかし、人ってわがままだねえ。
頼朝は亀(江口のり子)と浮気をして政子(小池栄子)に会うのを一日延ばせと言うし、
政子や母上(宮沢りえ)は新しいきれいな着物がほしいと言う。
そんな彼らの間で義時は右往左往。
状況に翻弄される古き良きアメリカの喜劇映画の主人公みたいだ。
頼朝の判断基準も面白い。
鎌倉での御所の位置を的確に判断したかと思えば、鎌倉入城の先頭を畠山重忠(中川大志)に言い渡す。
その理由は重忠がイケメンで見栄えがいいから。笑
まあ、民の心をつかむのは大事だよね……。
義経(菅田将暉)も今までとは違った人物像。
ウサギの取り合いで、相手をダマして殺害してウサギを奪う。
富士山が見えれば、兄に会うのを先送りにして富士山に行き、海が見えれば海に行く。
これには何か裏があるのか、それとも単に自由奔放なのか?
さて鎌倉で地盤を築き始めた頼朝。
西進を急がず、鎌倉で地盤づくりをしたのはなかなかの戦略家。
次回は仇敵・大庭、伊東との戦いのようだ。
鎌倉に入ると町の配置や武将たちの調整を任されるようになった。
まあ、本人も言っているように「木簡を数えるのが好きな人」ですからね。
とはいえ、まだ未熟。
武将たちの要望をぜんぶ聞いてしまう。
知恵も足りない。
頼朝(大泉洋)と板東武者たちの軋轢が生まれると、どう調整していいかわからない。
一方、三浦義村(山本耕史)は『武衛』という言葉だけで解決してしまった。
「武衛、こっちに来て飲め!」
「俺たちは武衛だ!」
後半はグダグダだったけど。笑
武田信義(八嶋智人)との交渉でも、信義の加勢は難しいと決めつけていた。
だが状況が変われば、人の考えも変わる。
平家の追討軍の攻撃を真っ先に受けるから、頼朝の力を借りざるを得ない。
これを頼朝は見抜いていたが、義時は見抜けなかった。
義時にはまだ学ぶことが多そうだ。
だが資質はある。
前回は上総広常(佐藤浩市)を味方にしたし、今回は武田信義。
そして梶原景時(中村獅童)。
頼朝を始め、さまざまな人に揉まれて成長していくのだろう。
しかし、人ってわがままだねえ。
頼朝は亀(江口のり子)と浮気をして政子(小池栄子)に会うのを一日延ばせと言うし、
政子や母上(宮沢りえ)は新しいきれいな着物がほしいと言う。
そんな彼らの間で義時は右往左往。
状況に翻弄される古き良きアメリカの喜劇映画の主人公みたいだ。
頼朝の判断基準も面白い。
鎌倉での御所の位置を的確に判断したかと思えば、鎌倉入城の先頭を畠山重忠(中川大志)に言い渡す。
その理由は重忠がイケメンで見栄えがいいから。笑
まあ、民の心をつかむのは大事だよね……。
義経(菅田将暉)も今までとは違った人物像。
ウサギの取り合いで、相手をダマして殺害してウサギを奪う。
富士山が見えれば、兄に会うのを先送りにして富士山に行き、海が見えれば海に行く。
これには何か裏があるのか、それとも単に自由奔放なのか?
さて鎌倉で地盤を築き始めた頼朝。
西進を急がず、鎌倉で地盤づくりをしたのはなかなかの戦略家。
次回は仇敵・大庭、伊東との戦いのようだ。
>とはいえ、まだ未熟。知恵も足りない。だが資質はある。
まさにこれが、現時点での義時像そのものですね。
「後追い」ではあっても、武田信義をめぐる頼朝の戦略眼を理解したことは「資質」。
戦術と実戦しか無い「単なる武将」に過ぎない父時政から、少し羨ましがられている節もありました。
>重忠がイケメンで見栄えがいいから。笑
今回も含めやや悪役気味の役どころが多いのですが、佐藤浩市さんだってけっして不細工では無いと思うのですが。笑
>義経も今までとは違った人物像。
義経と言えば「判官贔屓」のご本家キャラであり、定番のイメージがあります。
義経視点のドラマ、たとえば大河第4作の「源義経」で尾上菊之助(=当時→現七代目尾上菊五郎)さんが演じていた義経は、まさに定番どおりの「清廉潔白な悲劇の貴公子」でした。
藤原泰衡が主人公である「炎立つ」後半に登場する義経は、「政治的感覚が欠落した脳天気な若者」でしたが、けっして「悪人」ではありませんでした。
しかし、本作での義経は、結構dirtyなところもありそうです。
本作は「頼朝→北条」視点のドラマなので当然と言えば当然ですが、かなり思い切った「偶像破壊」ですね。
今回のウサギ狩りのエピソード、義経を美化する視点からは切り捨てられている何らかの典拠があるのでしょうか。
いつもありがとうございます。
今作は義時の成長の物語なんでしょうね。
ともすると歴史や人物の「目撃者」になりやすい大河ドラマの主人公。
この点、義時はいいポジションの主人公だと思いました。
個人的には、上総広常の方が美しいと思っています。
何と言っても凄みがある。
風雪を重ねて得た実力としたたかさが顔に刻まれている。
佐藤浩市さんの広常が出て来ると、画面が締まりますし。
>「頼朝→北条」視点のドラマなので当然と言えば当然ですが
なるほど、こういった背景があるからなんですね。
義経は無邪気な子供なのかもしれませんね。
無邪気だから、だまして弓で射殺すことに躊躇ない。
一方、弓で射殺すことをすぐに思いつくのは戦術には長けているから。
今後、義経と義時はいろいろ比較して描かれるのでしょうが、どんな義経像が描かれるのか楽しみです。