イゼルローン要塞攻略にあたりヤンは「薔薇の騎士」連帯の隊長ワルター・フォン・シェーンコップを呼ぶ。
シェーンコップ、そして薔薇の騎士聯隊のメンバーは帝国からの亡命貴族の師弟だ。
場合によっては帝国に寝返るかもしれない。
そんなシェーンコップにヤンはイゼルローン要塞攻略の作戦を明かす。
そして説明を終えると、こうシェーンコップに語る。
「先回りして言うとね、大佐、こいつはまともな作戦じゃない。
詭計、小細工に属するものだ。
しかし難攻不落のイゼルローン要塞を占領するには、これしかないと思う。
これでだめなら、私の能力のおよぶところじゃない」
ヤンったら「不敗の提督」なのに謙虚!笑
というか自分の能力というものをしっかり理解している人。
自分をいつも客観的に見ていると言ってもいい。
それは自分の立てた作戦にも同様で「詭計、小細工に属するものだ」と言っている。
シェーンコップの、自分は元帝国の人間で裏切るかもしれないのに信用するのか? という問いには──
「だが貴官を信用しないかぎり、この計画そのものが成立しない。
だから信用する。こいつは大前提なんだ」
ヤン、名回答である。
ここで「貴官のことは信用している」と答えたらウソになってしまう。
話はヤンの人生観におよぶ。
シェーンコップにイゼルローン要塞の攻略を引き受けたのは名誉欲からか? 出世欲からか? と問われて──
「三十歳前で閣下呼ばわりされれば、もう充分だ。
第一、この作戦が終わって生きていたら私は退役するつもりだから」
「年金もつくし退職金も出るし、私ともうひとりくらい、つつましく生活する分にはね、不自由ないはずだ」
先程の謙虚もそうだが、ヤンには欲がない。
普通の穏やかな生活をしたいと思っている。
帝国の収奪を狙うラインハルトとは対照的だ。
イゼルローンを攻略する理由については、こんなことを考えている。
「イゼルローンをわが軍が占領すれば、帝国軍は侵攻のほとんど唯一のルートを断たれる。
同盟の方から逆侵攻というばかなまねをしないかぎり、両軍は衝突したくともできなくなる。
すくなくとも大規模にはね。
そこでこれは同盟政府の外交手腕しだいだが、軍事的に有利な地歩を占めたところで、帝国との間に、何とか満足の行く和平条約を結べるかもしれない。
そうなれば私としては安心して退役できるわけさ」
侵攻不可能→和平条約
こんなふうにヤンは、チェスや将棋をさすように先の先まで考えているのだ。
本来これを考えるのは政治家の仕事。
まあ、トリューニヒトにはこう考える思考回路はないのだが……。
そしてヤンはリアリストである。
人間というものを過度に信用していない。
シェーンコップが「それで平和が恒久的になるのか?」と尋ねると──
「恒久平和なんて人類の歴史上なかった。
だから私はそんなもの望みはしない。
だが何十年かの平和で豊かな時代は存在できた。
吾々が次の世代に何か遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和が一番だ。
そして前の世代から手渡された平和を維持するのは、次の世代の責任だ。
それぞれの世代が、後の世代への責任を忘れないでいれば、結果として長時間の平和が保てるだろう。
忘れれば先人の遺産は食いつぶされ、人類は一から再出発ということになる。
まあ、それもいいけどね」
現役世代の責務は平和を次世代に受け渡すこと。
なるほど。
しかし、ヤンは一方で怖いことも言っている。
「人類は一から再出発ということになる」
戦争に拠る人類の絶滅だ。
そして、こうつけ加えた。
「まあ、それもいいけどね」
ヤンはドライだなぁ。
人類の滅亡→「絶対阻止しなければ!」ではなく、「まあ、それもいいけどね」。
ヤンは達観している。人類史、宇宙史の視点で物事を見ている。
あるいは、
自分にできることは限られているし、最悪の事態になったらなったで受け入れるしかない、と割り切っている。
ヤンのやわらかな強さである。
これらのヤンとの会話でシェーンコップは言う。
「とにかく期待以上の返答はいただいた。
この上は私も微力をつくすとしましょう。
永遠ならざる平和のために」
「永遠ならざる平和のために」と付け加えるシェーンコップ、カッコ良すぎる!
シェーンコップ、そして薔薇の騎士聯隊のメンバーは帝国からの亡命貴族の師弟だ。
場合によっては帝国に寝返るかもしれない。
そんなシェーンコップにヤンはイゼルローン要塞攻略の作戦を明かす。
そして説明を終えると、こうシェーンコップに語る。
「先回りして言うとね、大佐、こいつはまともな作戦じゃない。
詭計、小細工に属するものだ。
しかし難攻不落のイゼルローン要塞を占領するには、これしかないと思う。
これでだめなら、私の能力のおよぶところじゃない」
ヤンったら「不敗の提督」なのに謙虚!笑
というか自分の能力というものをしっかり理解している人。
自分をいつも客観的に見ていると言ってもいい。
それは自分の立てた作戦にも同様で「詭計、小細工に属するものだ」と言っている。
シェーンコップの、自分は元帝国の人間で裏切るかもしれないのに信用するのか? という問いには──
「だが貴官を信用しないかぎり、この計画そのものが成立しない。
だから信用する。こいつは大前提なんだ」
ヤン、名回答である。
ここで「貴官のことは信用している」と答えたらウソになってしまう。
話はヤンの人生観におよぶ。
シェーンコップにイゼルローン要塞の攻略を引き受けたのは名誉欲からか? 出世欲からか? と問われて──
「三十歳前で閣下呼ばわりされれば、もう充分だ。
第一、この作戦が終わって生きていたら私は退役するつもりだから」
「年金もつくし退職金も出るし、私ともうひとりくらい、つつましく生活する分にはね、不自由ないはずだ」
先程の謙虚もそうだが、ヤンには欲がない。
普通の穏やかな生活をしたいと思っている。
帝国の収奪を狙うラインハルトとは対照的だ。
イゼルローンを攻略する理由については、こんなことを考えている。
「イゼルローンをわが軍が占領すれば、帝国軍は侵攻のほとんど唯一のルートを断たれる。
同盟の方から逆侵攻というばかなまねをしないかぎり、両軍は衝突したくともできなくなる。
すくなくとも大規模にはね。
そこでこれは同盟政府の外交手腕しだいだが、軍事的に有利な地歩を占めたところで、帝国との間に、何とか満足の行く和平条約を結べるかもしれない。
そうなれば私としては安心して退役できるわけさ」
侵攻不可能→和平条約
こんなふうにヤンは、チェスや将棋をさすように先の先まで考えているのだ。
本来これを考えるのは政治家の仕事。
まあ、トリューニヒトにはこう考える思考回路はないのだが……。
そしてヤンはリアリストである。
人間というものを過度に信用していない。
シェーンコップが「それで平和が恒久的になるのか?」と尋ねると──
「恒久平和なんて人類の歴史上なかった。
だから私はそんなもの望みはしない。
だが何十年かの平和で豊かな時代は存在できた。
吾々が次の世代に何か遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和が一番だ。
そして前の世代から手渡された平和を維持するのは、次の世代の責任だ。
それぞれの世代が、後の世代への責任を忘れないでいれば、結果として長時間の平和が保てるだろう。
忘れれば先人の遺産は食いつぶされ、人類は一から再出発ということになる。
まあ、それもいいけどね」
現役世代の責務は平和を次世代に受け渡すこと。
なるほど。
しかし、ヤンは一方で怖いことも言っている。
「人類は一から再出発ということになる」
戦争に拠る人類の絶滅だ。
そして、こうつけ加えた。
「まあ、それもいいけどね」
ヤンはドライだなぁ。
人類の滅亡→「絶対阻止しなければ!」ではなく、「まあ、それもいいけどね」。
ヤンは達観している。人類史、宇宙史の視点で物事を見ている。
あるいは、
自分にできることは限られているし、最悪の事態になったらなったで受け入れるしかない、と割り切っている。
ヤンのやわらかな強さである。
これらのヤンとの会話でシェーンコップは言う。
「とにかく期待以上の返答はいただいた。
この上は私も微力をつくすとしましょう。
永遠ならざる平和のために」
「永遠ならざる平和のために」と付け加えるシェーンコップ、カッコ良すぎる!
>「人類は一から再出発ということになる」「まあ、それもいいけどね」
>人類の滅亡→「絶対阻止しなければ!」ではなく、「まあ、それもいいけどね」。
ここまでドライに徹して身を引いた視点には「凄み」を感じます。
この「凄み」が、シェーンコップに対する会話にも生きてきています。
>「だが貴官を信用しないかぎり、この計画そのものが成立しない。だから信用する。こいつは大前提なんだ」
ここでも、「貴官には私の信用に応えて欲しい」とはひと言も言っていない。
むしろ、計画が成立するか否かの決定を相手(シェーンコップ)に委ねてしまっているように見える。
委ねられてしまった側にとっては、むしろとてつもない重荷を背負わされた感じだろうと思います。
旧作アニメ版では、シェーンコップに「もし噂どおり、私が裏切り者になったどうします?」と問われたヤンの答えはただひと言
「困る」(笑)
このとぼけた雰囲気は、アニメ版「無責任艦長タイラー」―ここでのタイラーはヤンのオマージュだという説があります―を思わせます。
シェーンコップは「そりゃお困りでしょう。ですが困ってばかりですか?何か手を考えておられるのでしょう?」
ヤンの答えは「特に考えてない」
「それでは私を全面的にお信じになると?そこまで私をお信じになる理由をお聞きしたいですな」。
そこでの答えは、トリューニヒト派の将校がウェイトレスの少女に働いた横暴をシェーンコップが咎めた場面を見て、「シャンパンの一杯も奢りたくなった(つまりは気に入った)」というだけのこと。
「裏切られれば私に人を見る目が無かったというだけのことだ」。
旧作アニメ版でも―タイラー風の味付けで―一応話は成り立ってはいますが、原作のヤンの方が迫力がありますね。
旧作アニメとの違い、教えていただきありがとうございます。
>「人類は一から再出発ということになる」「まあ、それもいいけどね」
ヤンは個人の出来ることなどたかがしれていて、抵抗してもムダみたいな諦念があるんですよね。
大きな歴史の流れの中では個人など無力、と言い換えてもいいかもしれません。
一方、ラインハルトは個人で世界を変えられると考えていて、実際、変えてしまった。
面白い人物対比だと思うます。
>「だが貴官を信用しないかぎり、この計画そのものが成立しない。だから信用する。こいつは大前提なんだ」
の旧作アニメの処理は面白いですね。
結構、時間を割いてていねいに説明しています。
脚本家さんは映像と小説の違いを意識されていて、この小説のせりふだけでは伝わらないと考えたのかもしれません。
一方、このせりふだけで表現してしまった田中芳樹先生には、おっしゃるとおり「凄み」がありますよね。
「困る」はタイラーでも使われているんですね。
吉岡先生は「銀英伝」のファンなのでしょうね。
キャラの顔―旧作のヤンはタイラーそのもの(笑)―、両軍の軍服など、絵がかなり変わっていたので、旧作に慣れていたイメージからは補正が必要でした。
ストーリーもかなり違っている部分があり、コウジさんによる原作小説の紹介に照らすならば、新作の方が原作に忠実であるように思います。
シェーンコップがウェイトレスを助ける場面はおそらく旧作アニメのオリジナルで、旧作ではこれを見ていたヤンがシェーンコップを気に入り、「どこの艦隊も持て余している」ローゼンリッターを第13艦隊に迎え入れるようキャゼルヌに求めていました。
問題のヤンとシェーンコップとの会話は、第13艦隊旗艦での作戦会議でのことであり、シェーンコップはすでにヤンの麾下に入っていました。
新作アニメ、そしておそらく原作では、ヤンがフレデリカと二人でスカウトのためにローゼンリッターを訪問した場面―ここでフレデリカは格闘術でも優秀であることを見せています―での会話となっています。
フレデリカと言えば、コウジさんが前回記事にされた彼女の回顧談は、旧作アニメではシェーンコップとのやりとりがあった作戦会議後、わざわざヤンがフレデリカに「君はどう思う?」と作戦についての感想を求める場面を作り、そこに織り込んでいました。
新作アニメでは、着任挨拶の流れの中に一気に入っていました。
その他、細かい相違点がかなりありますが、政治状況についての書込みは新作アニメの方が細かい(おそらく原作に忠実)ように思いました。
たとえば、「都市」としてのイゼルローンに住んでいた帝国側の住民がどうなったのか、気になっていたのですが、旧作では描写はありませんでした。
新作では、彼ら「50万人の捕虜」が同盟政府の負担となったことが描かれていました。
新作アニメを御覧になったんですね。
そして旧作・新作の違いの分析。
僕なんかよりはるかにマニアックですね。
>政治状況についての書込みは新作アニメの方が細かい(おそらく原作に忠実)ように思いました。
TEPOさんの旧作紹介を読んで、旧作は原作の「毒」「皮肉」の部分を薄くしているように想いました。
「50万人の捕虜」など。田中芳樹作品は「毒」「皮肉」が散りばめられていますが、時代がやっと田中芳樹に追いついたという感じでしょうか。
旧作との比較で言えば、ヤンの声優は富山敬さんなんですよね。
僕にとってはヤン=富山敬さんだったので、新作の鈴村健一さんのヤンを聞いた時、すこし若い感じがして違和感を覚えました。
まあ、最近は慣れましたが。
あとは新作における戦艦のCGの美しさ。
こうして見てみると、新作・旧作の比較、面白いですね。
ちなみにhuluでは新作を全話見られます!
ちょっとここで申し上げておきたいことがひとつありまして・・・
要するに、三国志なんですよ・・・
この銀英伝って、宇宙の三国志とも言われています。
ただ、ヤンという人物を「スゴい万能な諸葛孔明」的に考えていると、原作小説8巻で「死亡」するわけで、中学生高校生であれば、そんなバカなというやり場のない怒りを覚えたりするわけです・・・
でも、じっくり考えれば、原作者のタナカさんも、ヤンをもともと諸葛孔明的な無敵の万能軍師として考えていなかった、そういうことだったと思います。
いつもありがとうございます。
確か物語の構造的には「三国志」ですよね。
おっしゃるとおり田中芳樹先生は「三国志」に着想を得て「銀英伝」を書いているのかもしれません。
ただ孔明は蜀を簒奪しましたし、曹操を打倒し、劉備を頂点とする漢王朝の復活を構想していました。
このあたりはヤンと孔明は違いますよね。
僕はヤンの思想や考え方に共感している部分が多いので、よく深く考察していきたいと考えています。