頼朝(大泉洋)の孤独。
頼朝の思いは「平家打倒」「父の仇討ち」「源氏の再興」である。
一方、板東武者たちは「大切なのは所領と一族」。
この時政(坂東彌十郎)の言葉で頼朝は現実を知ってしまった。
板東武者たちは、「平家打倒」「源氏再興」という自分の思いに共感して戦っているのではないことを。
だから義時(小栗旬)に「そなたは板東かわしか?」と尋ねた。
義時は答えられない。
頼朝が「一族の絆」を思い知ったエピソードがあった。
伊東祐親(浅野和之)の命乞いだ。
義時と政子(小池栄子)は祖父・祐親を助けてほしいと頼朝に頼み込んだ。
頼朝は「お前は良い孫たちを持ったな」と、しぶしぶ祐親の命を助けた。
頼朝は孤独である。
血の繋がった、頼りになる一族というものがない。
武田信義(八嶋智人)は源氏の頭領の座を狙って策を弄し、抜け駆けをするような男。
そんな中、現れたのが義経(菅田将暉)。
顔が似ている(笑)という弟が馳せ参じて、頼朝は義経を抱きしめる。
やっと頼朝は「頼りになる血の繋がった一族」を得たのだ。
巧みな物語の構造ですね。
平家追討軍との戦い(黄瀬川の戦い)を描きながら、
頼朝と板東武者たちの溝を描き、義経を登場させた。
脚本・三谷幸喜さんは、義経と頼朝の会合をどう描くかをいろいろ考えて、この方法に至ったのだろう。
もっとも頼朝の思いに共感している人物は義経だけでなく、他にもいる。
政子と八重(新垣結衣)だ。
八重は下女として頼朝を支えたいと言う。
政子もその思いをくんで、下女として使えることを許した。
女性たちの判断基準は「所領」や「一族」ではなく、「頼朝」なんですね。
これは幸せなことですよ。
頼朝は決してひとりではない。
義時や板東武者たちだって、「所領・一族」か「頼朝」か、の二元論ではなく、その間を揺れ動いている。
いずれは頼朝の思いに共感する人物も出て来るだろう。
頼朝の思いは「平家打倒」「父の仇討ち」「源氏の再興」である。
一方、板東武者たちは「大切なのは所領と一族」。
この時政(坂東彌十郎)の言葉で頼朝は現実を知ってしまった。
板東武者たちは、「平家打倒」「源氏再興」という自分の思いに共感して戦っているのではないことを。
だから義時(小栗旬)に「そなたは板東かわしか?」と尋ねた。
義時は答えられない。
頼朝が「一族の絆」を思い知ったエピソードがあった。
伊東祐親(浅野和之)の命乞いだ。
義時と政子(小池栄子)は祖父・祐親を助けてほしいと頼朝に頼み込んだ。
頼朝は「お前は良い孫たちを持ったな」と、しぶしぶ祐親の命を助けた。
頼朝は孤独である。
血の繋がった、頼りになる一族というものがない。
武田信義(八嶋智人)は源氏の頭領の座を狙って策を弄し、抜け駆けをするような男。
そんな中、現れたのが義経(菅田将暉)。
顔が似ている(笑)という弟が馳せ参じて、頼朝は義経を抱きしめる。
やっと頼朝は「頼りになる血の繋がった一族」を得たのだ。
巧みな物語の構造ですね。
平家追討軍との戦い(黄瀬川の戦い)を描きながら、
頼朝と板東武者たちの溝を描き、義経を登場させた。
脚本・三谷幸喜さんは、義経と頼朝の会合をどう描くかをいろいろ考えて、この方法に至ったのだろう。
もっとも頼朝の思いに共感している人物は義経だけでなく、他にもいる。
政子と八重(新垣結衣)だ。
八重は下女として頼朝を支えたいと言う。
政子もその思いをくんで、下女として使えることを許した。
女性たちの判断基準は「所領」や「一族」ではなく、「頼朝」なんですね。
これは幸せなことですよ。
頼朝は決してひとりではない。
義時や板東武者たちだって、「所領・一族」か「頼朝」か、の二元論ではなく、その間を揺れ動いている。
いずれは頼朝の思いに共感する人物も出て来るだろう。
お久しぶりです!
お元気そうで何よりです。
僕は「草燃える」を見ていないのですが、ハードな内容のようですね。
>北条氏の野望は、頼家・実朝・公暁まで死なせて源氏の血を絶やし、豪族達には粛清の嵐。
これが今作でどう描くかがポイントですね。
おっしゃるとおり三谷幸喜作品なのでドロドロにはしないでしょうし。
ひさしぶりの大河ドラマご視聴とのこと、またよかったらコメント下さい!
いつもありがとうございます。
義時は答えられなかったことで、本音を語ってしまったんですよね。
宗時の遺志を継いだ義時は「板東武者の国を造る」ために動いている。
そして義時は正直者なので、問われて「佐殿のためです」とゴマかすことは出来ない。
頼朝は改めて、自分の置かれている現実を理解したことでしょう。
義経と義時の関係はどうなっていくんでしょうね?
後のことを考えると、おっしゃるとおり「厄介な人」にはなりそうですが。
義経にはそういうエピソードがあるんですか。
だとすると、前回矢で射たことは十分にあり得ること。
義時は「問題児」を抱えて、さらに苦労することになりそうですね。
コロナ禍の中でも、なんとか生存しています。
70才になりました。
このところ、大河ドラマは見ていませんでしたが
「鎌倉殿の13人」は欠かさず見ています。
昔の大河「草燃える」が好きだったからです。
「草燃える」でも
頼朝役の石坂浩二さんは参陣してきた者と個別に対面して
『お前だけが頼りじゃ』と泣かんばかりに言っていましたが
この場面は「吾妻鏡」に記載されているそうですね。
黄瀬川の戦いのように、今後の戦は省エネで描かれていくのでしょう。
北条義時を主役に据えた以上は、源氏が息子の代で絶えることなどが重要になるでしょう。
北条氏の野望は、頼家・実朝・公暁まで死なせて源氏の血を絶やし、豪族達には粛清の嵐。
合戦よりも腹の探り合いなど顔芸・腹芸などに重きを置かれると思います。
「草燃える」と比較すれば物足りませんが
三谷幸喜流と割り切って楽しむことにします。
時政は、武田信義の抜け駆けにも先んじて、たった一人で数万の平家軍を撃退してしまった(笑)。
>弟が馳せ参じて、頼朝は義経を抱きしめる。
最初の挙兵に際して、頼朝は参陣した武将一人一人の手を取って「そなたが頼りじゃ」と演技しまくった描写がありました。
それだけに、義経に対する思いはけっして「演技」ではなく、衷心からのものであることを示すために、「頼朝の孤独」をしっかりと描いたのだと思います。
>義時に「そなたは板東かわしか?」と尋ねた。
これは頼朝らしからぬ愚問ですね。余程孤独に耐えかねたのか。
そもそも頼朝は、「出て行ってください」という北条家の立場を率直に語った正直さゆえに義時に信を置いた筈。
さらには、それまで状況に流されてきた義時に、「北条家の覇権のもとでの板東武者の世界樹立のために頼朝を利用する」という兄宗時の言葉が軸を与えています。
むしろ、義時が答えられなかったというのが含みの多いところ。
まあ、父時政の言葉に衝撃を受けている頼朝に向かって「私も坂東でございます」とはさすがに言えないかもしれませんが。
ともあれ、兄弟対面の場に居合わせた義時は、「頼りになる血の繋がった」弟を得た頼朝の喜びを理解はしたでしょうが、自身の思いは複雑だったことでしょう。
「炎立つ」での藤原泰衡にとってと同様、義時にとっても義経は「厄介な人」である筈です。
義経と言えば、先週のウサギ狩りのエピソードに関連して思い出したことがあります。
今後、義経は「天才的戦術家」として平家打倒に活躍してゆくことでしょう。
その「天才的戦術」の一つとして、壇ノ浦において「水夫梶取」を射殺させたことが挙げられています。
戦闘員ではない船員を射殺することは、海戦における「掟破り」の行動でした。
「掟破りの射殺」という点で「ウサギ狩り」は「壇ノ浦」の伏線なのかもしれません。
そして、こうした点が義経を美化するのではなく、「問題児」たらしめる要因の一つとなってゆくのではないかと思います。