平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

素直になれなくて 現実を生きる力のない主人公たち

2010年04月16日 | 恋愛ドラマ
 そういうドラマなのだから仕方がないのだが、四人の主人公があまりにも弱すぎる。
 現在の若者の悩みってこの程度のもの?

 まず月子(上野樹里)。
 学校における自分の境遇に悩んでいるようだが、学校に怒りを感じるよりも教師としての自分の実力のなさを考えるべき。
 中原中也の詩の授業でスピッツの詩?
 そういう授業のやり方もあるだろうが、本物の教師ならそんなことをしなくても中也の魅力を伝えられるはず。「何やってるんですか?」と怒った女生徒や先輩教師のイライラはよく分かる。

 次に圭介(瑛太)。
 エロ雑誌のカメラマンであることに劣等感を持っているようだが、それは実際のエロ雑誌のカメラマンに失礼だ。撮られているモデルさんにも失礼だ。
 写真に高級低級はないし、エロ雑誌の写真で救われている男性も沢山いる。
 もし違うと思っているのなら辞めるべきだし、生活の手段と割り切って飛躍する機会を待てばいい。
 もっとも圭介にはまだ背後にいろいろありそうだが。

 市原薫(玉山鉄二)も同じ。
 いわゆるパワハラ。
 でもイヤだったら断って営業に戻ればいいと思うし、のし上がるための手段として割り切って、男芸者に徹すればいい。
 もっとしたたかになれば、パワハラシーンを録音して、それをネタに編集部に残ることだって出来る。ライバル他誌に売ることだって出来る。

 そしてパク・ソンス(ジェジュン)。
 いろいろ事情があるのだろうが、僕だったらとっくに辞めている。
 上司に頭から水をかけられる理不尽。取引先からはアポをドタキャンされ、足もみを強要される理不尽。
 そんな場所でない、ソンスを受け入れてくれる場所がきっとあるはず。
 あるいは「何とかなるさ」と開き直れないものか?

 弱すぎる主人公たち。
 したたかさの欠けらもない主人公たち。
 そして偽りの自分を演じて、居心地のいいツィッターの世界に逃げ込む主人公たち。
 確かに現実は理不尽で愚かで、息苦しいものだと思うが、僕は雄々しく現実に立ち向かう主人公を見たい。
 しかも傷を舐め合う仲間など否定して、ひとりで道を切り開いていくような。
 「龍馬伝」がきっかけで現在、岩崎弥太郎がブームだそうだ。
 その理由はわかる。
 生命力がありたくましいからだ。
 「素直になれなくて」の主人公たちと正反対だからだ。
 歴女の人達が戦国武将に憧れるのも、これと同じだと思う。

 現実を生き抜く力がなく、仲間と傷を舐め合うような主人公のドラマは見たくない。


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Mother 虐待を安易に描く作家の姿勢に疑問

2010年04月15日 | その他ドラマ
 このドラマの世界に入り込むにはひとつハードルがあるような気がする。
 すなわち奈緒(松雪泰子)が怜南(芦田愛菜)を<誘拐>という極端な行為をすることにリアリティを感じるかどうか。
 酷い虐待。
 でも普通の判断力のある大人なら親と全面的に立ち向かうはず。
 児童相談所や学校が話を聞いてくれないのなら、弁護士を使ったりして。
 それがいきなり<誘拐>という極端な行為に行ってしまう。死の偽装までする。
 これでは自分の存在が認められないから秋葉原にトラックで突っ込むのと同じだ。
 おそらく奈緒の心も病んでいるのだろう。
 「自分は捨てられた」とラストにつぶやいた奈緒の心の闇は今後明らかにされていくのだろうが、僕には奈緒という人物が理解不能である。

 虐待する母親の心情が明確に描かれていないことも気にかかる。
 相手の男は変態だとして、可愛がっているハムスターを殺したり、ゴミ袋にいれたり、口紅を塗ったり、視聴率のために単なる衝撃映像を入れているだけのような気がする。
 虐待を描くのなら、それこそ腹を据えて描かないと。
 それがテレビという影響力のあるメディアで表現する者の責任。
 だが、この作品では奈緒と怜南の逃避行のきっかけとしてしか描かれていない。

 物語としては、孤独などこにも居場所のないふたりの逃避行というドラマなのだろう。
 奈緒は果たして怜南の母親になれるのか?
 そう言えば、怜南が<先生>からいきなり<お母さん>と呼ぶ心情もわからない。
 どんなに虐待されても母親との繋がりをけなげに捨てようとしなかった怜南が、後半簡単に捨ててしまうのも気になった。

 ともかく理解不能である。
 そして何よりも虐待というテーマを安易に扱う作家の感性を疑う。


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絶対零度 上戸彩論

2010年04月14日 | 推理・サスペンスドラマ
 上戸彩さんのドラマってどれも同じに見える。
 「絶対零度」の桜木泉は「ホカベン」の上戸さんが演じた新人弁護士に近いかな。
 どちらも新人で事件に対してひたむき。いろいろな所に頭をぶつけながら成長していく。
 刑事、弁護士とまとっている衣装は違うが、中身は<上戸彩>。
 最近の「セレブと貧乏太郎」や「婚カツ!」もそう。
 「絶対零度」「ホカベン」などと主人公像が違うが、やはり中身は<上戸彩>の感じは否めない。

 このことは若手人気女優にとっての宿命。
 あれだけ露出してれば、演技の引き出しはなくなるし、視聴者も既視感を感じる。
 だが、たとえば戸田恵里香さんなんかはうまくクリアしている。
 「ライアーゲーム」の直、「コード・ブルー」の緋山、「BOSS」のひきこもりの女刑事。
 うまく演じ分けている。
 新垣結衣さんも「コード・ブルー」の白石で新境地を開けた。この点で、役者さんを成長させてくれる作品に出会えることは大切。
 堀北真希さんも「特上カバチ」ではがんばった。
 今までのイメージと違う高飛車でタバコをスパスパ吸う女性を好演。
 無理をして演じているなと思いつつ、楽しんで演じていることも同時に感じた。
 また「カバチ」がコミカルな作品だったから、誇張するという引き出しで乗り切れた。
 長澤まさみさんなんかは壁を突破できなくて苦しんでいる感じ。
 「わが家の歴史」で演じたゆかり。お嬢様から社会の底辺に落ちる難しい役だが、長澤さんは戸惑い、もがいている感じ。

 というわけで上戸彩さんに話を戻すと、彼女は明らかに壁にぶつかっている。
 この「絶対零度」で新しい顔を期待したが、やはり<上戸彩>だった。
 フツーには面白いんですけどね、上戸さんの作品は。でも大ヒット、メチャクチャ面白いにはならない。
 これを打開するには新境地を切り開いてくれる作品に出会うことなのだが、これは<自分探し>と同じでなかなか難しい。
 新しい上戸彩を表現できる役に出会えた時、その役はきっと当たり役になるのだろうが、上戸さんクラスは事務所の管理がうるさいだろうから、大きな冒険は出来ないんでしょうね。

※追記
 そう言えば上戸さんの現在の当たり役があった。
 ソフトバンクのCMの白戸家の彩。
 今回の北大路欣也さんの起用はそれを狙ったんでしょうけど、いっそのこと白戸家をドラマに作ったらどうだろう?


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わが家の歴史 その2 三谷幸喜さんを投影する登場人物たち

2010年04月13日 | ホームドラマ
 この作品、ドラマ形式としては出来事の羅列である。
 クライマックスに向けてドラマを盛り上げていくという手法をとっていない。
 おそらく三谷幸喜さんは意図的にこの手法をとったのだろう。
 なぜなら我々の一生も出来事の羅列なのだから。映画やドラマのようにクライマックスに向けて盛り上がっていく人生なんてほとんどの人が送れないのだから。
 だから平凡な八女家の人々を描くにはこの手法しかなかった。
 
 今回、羅列された出来事は他愛ないものもあれば深いものもある。

★父・時次郎(西田敏行)のフラリングのエピソードはなかなか深い。
 アメリカで流行ったものをそのまま作るのではなく、日本人の体に合わせて小さくし素材も軽くしていたら、つまりフラフープを作っていたら、きっと大成功していた。
 これが示す所は<人生の明暗を分けるのはちょっと立ち止まって考えてみるかどうかである>という人生訓。

★房子(榮倉奈々)が才能のなさを指摘されて、手塚治虫(藤原竜也)の所を辞めるエピソードも深い。
 才能のちょっとある人間とメチャクチャある天才。
 人間は生まれながらに不公平に出来ている。
 だから人は自分の分をわきまえて生きていくしかない。
 三谷さんの目はシビアだ。
 同時に分をわきまえて精一杯生きれば、その人の人生は素晴らしいとも言っている。

★波子(堀北真希)の編集長就任も面白い。
 波子にとっては人生で一番喜ぶべき瞬間だが、彼女はクールに受けとめる。
 それよりも波子が心から喜んだのは、夫の阿野(山本耕史)が小説を書き上げた時。
 波子は本当に阿野を愛していたんですね。

★宗男(佐藤隆太)は三谷さんの分身か。
 コメディアンとして舞台に立って人を笑わせたかったのに自分にはその才能がないと気づく宗男。
 それは三谷さんも同じ。
 自分と仕事をしている役者さんたちを見ていればわかるという三谷さんの想いの投影?
 房子と手塚治虫のエピソードも同様のものだろう。

★もうひとつ三谷さん関連で書くと、つるちゃん(大泉洋)は三谷さんの憧れだろう。
 あのサバイバル能力。どんな境遇でも生き抜く力。
 それと同時におっちょこちょい。
 アメリカかぶれのジョニー(寺島進)にすぐ感化される。
 警察予備隊を警察に入るための学校と勘違い。
 でもいろいろな所に頭をぶつけながら、方向は房子に向いている。
 まっすぐなドンキホーテ。
 つるちゃんに三谷さんが投影しているものは大きい。

 人はいろいろなことに頭をぶつけて、バカなことをしながら生きている。
 でも生きていることは素晴らしい。
 そして失敗しても立ち上がることはもっと素晴らしい。
 三谷さんはこう主張している。

 わが家の歴史・レビューその1はこちら


※追記
 三谷さんの目では、フラリングの失敗と糸川英夫教授(高嶋政伸)のロケットの失敗は同じなんですよね。
 夢をみて、試行錯誤して失敗する。
 この両者に高級、低級の違いはない。
 これは文豪・永井荷風(石坂浩二)が、自分は踊り子より下品な人間と語ったのと同じ。

※追記
 大浦(玉山鉄二)の「自分の生きていたあかしを残したい」。
 この動機でクーデターに参加してしまうのは、自分の生きていたあかしを残すために凶悪犯罪に走ってしまう現代に通じるものがある。


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わが家の歴史 生きていれば時々いいことがある

2010年04月12日 | ホームドラマ
 「生きていれば時々いいことがある」
 イラクで亡くなった戦場カメラマンの橋田信介さんの言葉を思い出した。
 決していいことばかりではなかった、というより、悪いことつらいことの方が多かった政子(柴咲コウ)を始めとする八女家の人々。
 愛人、内縁の妻としての結婚生活。夫の志半ばの早過ぎる死。
 だが人生には、ときどき幸せの瞬間がある。
 たとえば、息子が運動会で一位を獲った時。
 あるいは房子(榮倉奈々)の結婚式で家族が揃った時。
 この時、政子は言う。
 「家族全員が集まって、わいわい言いながらみんなが幸せな顔をしている。今日、この日のためにわたしは頑張ってきた気がします。お姉ちゃんは幸せです。有難う」
 これら運動会のシーンと結婚式の挨拶のシーンはこのドラマが描きたかった瞬間でもある。
 このシーンを描きたいがために10時間が費やされたと言ってもいい。

 人はある輝く一瞬のために生きている。
 その輝きは永遠ではないし、すぐに日常に埋もれてしまうけれど、そのわずかな時間のために一生は費やされる。
 ゆかり(長澤まさみ)や大浦(玉山鉄二)には、きらめきの時間は訪れていないが、やがてきっとやって来る。
 生きていればきっといいことがあるのだ。
 だから生きろ。

 三谷幸喜さんがずっと描いてきたテーマがここにはある。
 「わが家の歴史」については明日も書きます。

 わが家の歴史・レビューその2はこちら


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龍馬伝 第15回「ふたりの京」

2010年04月12日 | 大河ドラマ・時代劇
 加尾(広末涼子)のために生きるか、日本のために生きるか。
 意識していなかったのでしょうが、龍馬(福山雅治)の中では結論が出ていたようですね。
 勝麟太郎のことを聞いて目を輝かす龍馬を見て、加尾はそのことに気づいてしまった。
 黒か白でなく、両方選ぶという灰色の選択肢もあるようにも思いますが、ふたりは若く、そんなに器用ではなかったようです。
 何より龍馬は自分のそばに加尾の存在があれば、自由に突っ走れない。
 別れるふたり。
 加尾はこれから龍馬の活躍を遠くで見守っていくんでしょうね。
 愛した男が世に出て、大きな仕事を成し遂げていく姿を見守っていく。
 これもひとつの愛のあり方か。
 土佐に戻る加尾の凛とした背中はそんなことを物語っているようです。

 一方、以蔵(佐藤健)。
 自分のしていることに抑圧を感じていたようですね。
 龍馬と出会って、「楽しくて気が楽になった」。「龍馬ーーー!」と抱きついた。
 蝕まれていく心。そんな中で以蔵は救いを求めていた。それが龍馬だった。
 以蔵の中には、龍馬と通じ合うもの、「心根のやさしさ」みたいなものがあったのでしょうね。
 ただ弱すぎて、ひとりで生きていくことは出来なかった。
 「以蔵、わしの隣に来い」
 半平太(大森南朋)の人心掌握術はなかなか巧みです。
 龍馬と半平太、このふたりの間を右往左往して生きていく以蔵。
 自分にとって何が大切かを考えていれば、自分が行くべき場所の結論は出ていたのだろうが、それを放棄してしまったことに以蔵の悲劇がある。

※追記
 龍馬のラブシーンと以蔵の殺しのシーンがカットバック。
 <愛>と愛に飢えた者の<孤独>の対比だろうが、少し凝りすぎのような気がする。

※追記
 龍馬とのラブシーンの加尾。
 目が潤んでいる。そして翌朝の笑顔。
 この広末涼子さんの演技はなかなか。

※追記
 重苦しい空気の中、唯一のギャグパートである弥太郎(香川照之)。
 龍馬や武市からは一歩遅れてしまった感じだが、彼にはとてつもないエネルギーがある。
 それが爆発した時は、一気に走り出す?
 加尾のように口には出さないが、喜勢が弥太郎の所に来たのはそんな所にあるような気がする。


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ゲゲゲの女房 昭和のDNA

2010年04月11日 | ホームドラマ
 「ゲゲゲの女房」が面白い。
 次回からはいよいよ水木しげること、村井茂(向井理)との見合い。
 茂はおそらく変人として描かれるだろうから、主人公の布美枝(松下奈緒)がどんなリアクションをするか楽しみ。
 リアクションと言えばこんなことがあった。
 見合い相手の茂が戦場で怪我をして片腕がないと、父親に告げられた時のこと。
 布美枝はこうつぶやく。
 「服の袖はどうしてるんだろう?」
 服飾の仕事をしている布美枝らしいリアクションだが、「片腕がない」ことをすんなりと受け入れている所が彼女を主人公にしている。
 自分も背が高いというコンプレックスがあるためかもしれないが、今どきの子のリアクションなら「無理」「そんな人とお見合い出来ない」という感じだろう。
 視聴者が予想するリアクション以上のことをすると、ドラマは俄然面白くなってくる。
 「服の袖はどうしてるんだろう?」
 これは布美枝のすべてを表す名セリフである。

 服と言えば、布美枝の服装が懐かしい。
 ロングスカートにブラウス。カーディガン。
 布美枝は僕より上の、母親の世代だが、この姿を見ると妙に落ち着く。
 やはり僕は昭和の人間である。
 布美枝を演じている松下奈緒さんはモデルでバリバリの現在の女性だが、昭和の服装をした彼女の方がきれいで親近感を持てる。
 だが、同じ昭和の服装でも着物や戦争中のもんぺ姿だとしっくり来ない。
 やはりロングスカートにブラウスでなければダメなのである。
 もっと言うとあの布美枝のヘアスタイル、化粧が一番ぴったり来るのである。
 これは一体何なのだろう?
 母親の記憶?
 まったく人間の記憶というのは面白い。


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王様のレストラン 三谷幸喜脚本の真髄

2010年04月09日 | 職業ドラマ
 「王様のレストラン」第3話ではこんなせりふのやりとりがあった。

 バーテンの三条(鈴木京香)に耳かきをしてもらおうとしている新オーナーの禄郎(筒井道隆)。
 禄郎は三条に気があるらしい。
 禄郎がテーブルに耳をつけて耳かきをされようとしていると、兄の範朝(西村雅彦)がやって来る。
 「何をしているのか?」と範朝に聞かれて、禄郎は「何か変な音が聞こえるんですよね」と誤魔化す。
 これだけで十分オチのついたせりふのやりとりになっているのだが、脚本の三谷幸喜さんはさらに落とす。
 「変な音が聞こえる」と言われた範朝は自分もテーブルに耳を当ててみて、こう言う。
 「地下鉄だな」

 これが一流のプロのせりふだ。
 普通の人なら「変な音が聞こえる」というせりふを考えた時点できっと終わってしまう。
 範朝の「地下鉄だな」を書けるか書けないかで、シナリオの質は大きく変わってくる。
 
 こんなやりとりもあった。
 同じく三条と禄郎。
 三条をディナーショーに誘っている禄郎。
 禄郎が「ディナーショーの歌手は何とかイグレシアス」と言うと、三条は「まあ、フリオ・イグレシアス!」と歓ぶ。
 しかし、禄郎のチケットは<マリオ・イグレシアス>というフリオの遠い親戚らしい。
 先程と同様、これだけでオチとしては十分なのだが、その後で三条はこう言う。
 「まあ、逆に興味があるわ」
 
 これも先程と同じ。
 普通なら「誰それ?」とか「じゃあ行かない」などで終わらせてしまう。
 ところが三条は「逆に興味があるわ」。
 これで<禄郎に口説かれていることを楽しんでいる>三条のキャラクターが伝わってくる。
 せりふのかけあいの中で、最後に何を言わせるかは非常に重要なのだ。

 こんなやりとりもあった。
 今度は三条と範朝。範朝も三条を口説いている。やはり兄弟だ。
 そして範朝の誘いはディナーショーでなく相撲観戦。
 三条は「相撲中継で、私たちがいっしょにいる所を奥さんに見られたらまずいんじゃない」と答えるが、範朝はこう言う。
 「大丈夫。妻は相撲中継を見ないから」

 これも上手い。
 まず、簡単には引き下がらない範朝の必死な想いが伝わってくる。
 同時に「相撲中継を見ない」妻と範朝の生活が垣間見える。

 禄郎、範朝、三条の三角関係はこの後でも展開される。
 赤字続きで誰をクビにするかで面接をする時、「三条さんはクビにしなくていいでしょう!」と禄郎と範朝は口を揃えて言うのだ。
 前半の口説きの前フリがこんな形で反映されている。

 「王様のレストラン」は三谷幸喜脚本のテクニックを学ぶには最適なテキストだ。

※追記
 せりふのやりとりの最後をどの様に終わらせるか?
 こんなやりとりもあった。
 面接を受けているパティシエ。
 クビになりたくなくて、禄郎に「どんなケーキが好きですか?」と媚びる。
 禄郎は「ミルフィーユが好きです」と答える。
 真剣な面接の場でこんなやりとりをするだけでおかしいのだが、これにギャルソンの千石(松本幸四郎)が参加する。
 「私はモンブランが好きです」


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臨場 第1話 やはりドラマは感情

2010年04月08日 | 推理・サスペンスドラマ
 ここには様々な感情が溢れている。

・子供は亡くなっていないのに、生きていれば小学一年生だから買ってしまうランドセル。
・小学校に入ったら行くと亡くなった子供と約束していたので、行ってしまう海釣り。
・生きていた時と同じ状態の子供の部屋。
・「力を貸して」と子供に編んであげた手袋で憎い相手を殺そうとする母親。
・そのままにしておけば犯行の証拠になってしまうのに捨てられない手袋。
・子供と楽しそうにしているのを見て沸き立つ憎しみ。
・妻の犯行だと理解して罪を被る夫。

 やはりドラマは感情なんですね。
 母親の想い、父親の想い、夫としての想い……、これだけ感情が描かれれば、いいものを見せてもらったという感じになります。

 同時に心のわだかまりを清算できない哀しさも。
 亡くなった子供のことを清算できれば、楽になれるのにそうできない母・玲子(辺見えみり)。
 清算するには相手を殺すしかないという心の嵐。
 過去にとらわれ、現在も未来にも生きることが出来ない人間のせつなさ。

 心のわだかまりを清算できないと言えば、殺された長谷川隆志(平山祐介)もそうだった。
 子供が安易に飛び出したために起きた事故。
 結果、オリンピック出場はなくなり、人生のすべてを台なしにされた想い。
 あの時、あの子供が飛び出さなければ……!
 そのこだわりが長谷川に謝罪をさせなかった。
 結果、今回の悲劇を生んでしまった。

 人生の歯車はちょっとしたことで狂い出す。
 ぽっかりと空いてしまった心の穴を埋めるものがあれば、歯車はもとに戻ったのかもしれないが。
 玲子の場合は夫の愛だった。
 夫の愛に気づいていれば……。
 人生はifの積み重ねでもある。


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平沼新党~老人政治の終焉

2010年04月07日 | 事件・出来事
 現在、話題になっている平沼新党。
 よくもまあ、こう時代から外れた動きが出て来るものだ。
 どなたかがコメントで言っておられたが、平沼赳夫氏は改憲論者、与謝野馨氏は消費税UP論者。
 国民は<改憲>も<消費税UP>も望んでいない。
 国の借金や格差、年金、目の前の生活を何とかしてもらいたいのだし、改憲して軍事費を増やしてさらにこれらを圧迫するつもりか?
 確かに目を転じて見れば、この極東の地にも紛争・戦争の火種はあるが、「美しい国」としてそれらに積極的に関わる必要はない。関わるにしても言論を信じ<紛争解決にあたって武力を行使しない>のスタンスで臨むべきだ。
 消費税に関してはいずれは引き上げの必要はあるだろうが、まずはムダの削減からだ。
 与謝野氏は埋蔵金はないと言ったり、国の歳出削減は既にギリギリまでやっていると言ったりしているが、現実に埋蔵金はあったし、マスコミではいまだに公益法人などのムダが報道されている。
 民主党の事業仕分けやみんなの党が支持されているのは、ムダ削減の作業をしようとしているからだ。

 与謝野氏に関してはさらにひと言言いたい。
 与謝野氏は前回の衆議院選挙で比例で当選している。選挙区で選ばれたわけではない。
 自民党で当選している人間が自民党以外の政治活動をするのはいかがなものか?
 おまけに麻生内閣では政権の中枢にいたのだ。
 与謝野氏に現在の自民党を批判する資格はない。
 批判するなら議員を辞職して、夏の参議院選挙で<与謝野馨>を問うべきだ。

 はっきり言って、もう老人政治家はまっぴらだ。
 <代返>の若林元議員。
 この人が象徴しているように、皆レベルが低い。
 与謝野氏は節度がないし、平沼氏はズレている。
 そういえば平沼新党の後見人は、渡邊恒雄氏に中曽根康弘氏、石原慎太郎氏。
 もはや顔も見たくない人達だ。

 おそらく平沼新党は失敗するだろう。
 歴史的には老人政治の終焉の象徴として位置づけられるのではないか?
 そして、30代、40代、50代の中堅・若手政治家よ、民主党も自民党も含めてがんばれ!


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