JR嵯峨野線に初めて乗ったのは、以前阪急嵐山線の時に書いたように小学校の遠足で嵯峨から保津峡まで乗った時だ。その時は国鉄山陰線でキハ58系が走っていた旧線時代であった。それ以降乗ることもなく、新線に切り替えられてしまったが、学生になってあまり正念は入ってなかったものの全国の乗り歩きを始めてから18を利用して山陰各線を乗ることを念頭の上、嵯峨野線攻略もついでに目論んだ。
その折に最初に乗ったのは1996年夏(詳細日付は失念)で、この時は茨木からJR京都線に乗り、京都へ出て、京都から嵯峨野線~山陰線で福知山、ここで乗り換えてさらに山陰線に乗って城崎(現城崎温泉)で気動車に乗り換え、餘部鉄橋を渡って浜坂でまた乗り換え、鳥取に至るルート。鳥取からは因美線~智頭急行~上郡~JR神戸線で茨木に戻る日帰り計画だった。この時京都から乗った嵯峨野線電車はまだまだ登場したての223系1000番台使用の臨時快速レインボー天橋立行きだった。当時は何度も書いているように私は撮影をほとんどしてなかったので、カメラを持たずに出ているか、あるいは持っていても撮る気がないかのどちらかで、この今となっては非常に貴重な快速レインボーの写真も撮っていない。今から思えば非常に惜しいことをしている。
この快速レインボーには京都から福知山まで乗車したが、この時嵯峨嵐山でオーバーランをして、推進運転で停止位置までバックしたのを鮮明に覚えている。オーバーランが福知山線事故などでクローズアップされたことがあったが、昔からJR西日本はオーバーランが多かったのだろうか?幼少の頃高速長田で見た阪急電車のオーバーラン以来のオーバーラン体験だったが、乗っている電車がオーバーランしたのは今のところ後にも先にもこの時だけだ。
後ろ髪を引かれながら223系臨時快速レインボーを降りて、福知山で名物の大江の鬼そば(高架化後ホームからは姿を消してしまっている!!)を食して、福知山からはボロい113系800番台福知山色に乗って一路城崎へ。城崎からは気動車で餘部鉄橋を渡って浜坂へ。幼少の頃よくクルマで餘部へ泊りがけで海水浴などをしに連れられたのを懐かしみながら餘部鉄橋を通過した。餘部鉄橋もいよいよ3月末でファイナルを迎え、中高年層などを中心にマニアのみならず一般人の見物が増えて大盛況のようだ。なにぶん事故のないように最後を迎えて欲しいものだ。
浜坂到着後は名物のかに寿司を食したのを覚えている。酢のきいたかに寿司よりもかに飯の方が個人的には好きだが、浜坂のかに寿司は美味しかった。一旦なくなって最近数量限定か何かで復活したように聞いたが、もう一度食してみたいものだ。
浜坂からまた気動車に乗って鳥取へ行き、鳥取から先にはこのときには乗っていない。立派な高架の鳥取駅に降り立って、その後は因美線に向かった。
JR嵯峨野線にはその年(1996年)の同じく夏の18シーズンに同じ18きっぷを利用して京都~綾部間で乗車し、綾部から舞鶴線~小浜線と乗り継いで敦賀まで乗っている。福知山以西については、それ以後はほとんど乗っていない。福知山以西で学生時代に乗ったのは播但線に乗りに行った時ぐらいだ。その時は和田山~福知山間は普通を使い、福知山からは贅沢にも特急に乗っている。
それ以降は全て社会人になってからで、乗り潰しを真剣にやり始めるのとホームページを作り出してからは何度も乗るようになっている。