JR鹿児島本線熊本~西鹿児島間の初乗車は夜も更けた時間のつばめだった。学生時代の私は当時インターネットが普及する前で宿の予約を取らずに旅行することが多く、極力宿代を浮かすために夜行を利用することが多かった。このときも宿を浮かすために博多から西鹿児島に23時前に着くつばめに乗り、折り返し西鹿児島からのドリームつばめに乗る行程で宿代を浮かしていた。行程上明朝博多に着く場合、西鹿児島や宮崎からの夜行に乗る必要があり、夜行の発車時間まで時間を潰すのに苦労するので、なるべく都会の博多を出る夜行に乗るようにしていた。しかし、前記のケースは博多からの鉄活動を前提とした場合の行程だったので、苦肉の策で上下のつばめに乗るという暴挙に出ている。その傾向は社会人になってからも変わらず、今度は効率的に撮影をできるかどうかで夜行を使って有効時間帯を増やすというこれまた暴挙に出るために夜行を使っている。このため熊本~西鹿児島間では夜行のドリームつばめによる移動が多かった。昼間に乗ったのは学生時代の第2次九州遠征で、鹿児島へ向かう時に夕方のつばめに乗った時に一部区間が明かり区間となり、建設中の九州新幹線の一端が見られたのと次の日に長躯鹿児島から大阪まで昼行移動で帰った時に朝からつばめに乗って鹿児島本線の旅を楽しんだ(疲れもあったので起きていたかどうかは不明)時に風光明媚な八代以南の景色を楽しんでいる。この時既にはやぶさの姿はなく、なはは九州新幹線開業前まで西鹿児島に乗り入れていたが、この頃は撮影に興味もなく何も撮っていない。
次に西鹿児島に足を踏み入れたのも第3次九州遠征でドリームつばめ利用だった。この時もグリーン豪遊を使っている為、それを有効に使うということからドリームつばめで博多~西鹿児島間を往復している。この時はデジカメを持って撮影の真似事はしていたが、西鹿児島でのなは撮影はこの時も適っていない。しかし、ドリームつばめを早朝鳥栖で降りて、なは、あかつき(両者はこの頃は単独運転だった)を撮影しているのだから、西鹿児島で何でなはを撮影しなかったのか不思議だ。
次の九州遠征は九州新幹線開業前の惜別乗車で、ドリームつばめで鹿児島入りして、即折り返しつばめに乗ってつばめによる最後の鹿児島本線の旅を楽しんでいる。この時もなはは途中の駅で交換したのを見ただけで何も撮っていない。この頃も乗り潰しはすれで今ほど撮影には力を入れていなかった…とりわけ地方遠征は乗りがメインという感じで動いていたのだから仕方ないと言えば仕方ないが、今思い返せば勿体ない限りだ。もっともその時の行程は目一杯詰め詰めの行程で動いているので、撮影したくてもできなかったという痛い事情があるのは確かなところだ。
九州新幹線開業後に新幹線試乗を兼ねて一度鹿児島は訪れているが、この時は転換後の肥薩オレンジ鉄道には乗らず、新幹線開業後もJRとして残る旧鹿児島本線こと肥薩線の旅を楽しんだ。海側を回る鹿児島本線に本線を取られてしまった肥薩線だが、新幹線開業により、肥薩線から主役の座を奪った鹿児島本線が新幹線開業によりJRの本体からまでも切り離され第3セクター鉄道として再出発させられる羽目になっているのは皮肉なものだ。