フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

今のわたしの歳頃の母を、想い出すことが多くなっています。

2022-02-06 22:31:59 | 老人一人暮らし
空気が冷たい日曜日でした。
この数日間、ふらふらが酷いことも有って暖かいズボンで過ごしています。
階段の上り下りの時、手すりの助けなしでは危なくなっています。

落ち葉をその儘にはして置けませんので、日に2回は道路のお掃除は必須。
背筋や腰回りが暖かいので和服を着るのですが、階段を掃く時や、
前の道を掃く時は着物よりズボンの方が、安全と判断してのことです。

階段を上がる時、和服の前を少し摘まんで上がりますので、
両手が塞がってしまいますので、暖かい仕立てのズボンにしてます。

階段のお掃除は屈んで箒を使いますので、前合わせの裾が下がり踏めば、
汚れますし危険です。
真冬は着物が着られ無くなるかもしれない、そんな気がして居ます。

裏起毛のズボンが有るのには驚き、普段着用と外出用を買いました。
母も以前は着物でしたが、足袋を履くのが辛くなりズボン派になりましたが、
起毛のズボンなど有ませんでしたから、何枚も重ね着し動きづらそうでした。

父は85歳で亡くなりその時、母は80歳でした。
当時の母の年齢になり、何かにつけ母を想い出してしまうこの頃です。

富士宮の家でこれ以上着られ無いと思う程、重ね着をしていました。
埃が大嫌いな母が、着替える度にかなり埃を撒き散らしていたはずですし、
着たり脱いだりも大変そうでした…。

父が亡くなってから富士宮の家に母一人で15年近く住んで居たのです。
血縁関係の全くない土地なのに、何故?と今でも不思議です。気丈でした。
富士山と母の畑が有ったからなのでしょうか…。今でも理解できずにいます。

わたし達兄弟は大変でした。
車でなければ、買い物も病院にも美容院にも行かれ無い所でしたから…。
母が亡くなって、もうじき11年になります。
コロナの流行などが無い時で良かった…、といつも思ってます。
コメント
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