今日は木曜日。長女がやってくる日です。
一人住まいですので、友人や娘たちの来訪がなければ食事は常に一人。当然のことです。
そんな生活になって、もう16年も経っているのですが、その生活に慣れることはないようです。
元々、わたしの実家は家族も多かったうえに、別棟で寝泊まりしている人達が5,6人いました。
その人たちはわたしの家の食堂で食事をしていました。
毎日、別棟の人たちがまず食事をしてから、わたしたち兄弟5人の食事をしました。
一番最後に両親と祖母大人の3人で食事をするのが常でした。
毎日、朝食、昼食、夕食の3食。食堂での食事は毎日9回、食事の用意をしたり、それを片づけたり、
それはかなり大変な大仕事でした。
兄弟は5人、兄や弟たちの友人が遊びに来ていますと、彼らも当然食堂に入り一緒にテーブルについていました。
今思うと不思議ですが、その時は当たり前でした。誰も不思議に思わなかったような気がします。
食堂の総責任者(?)は、祖母でした。母のお母さんです。
わたしは祖母が大好きでした。今でも尊敬しています。
祖母が膀胱癌になり、膀胱摘出の手術を受けてから、食堂を取り仕切っていた60歳の祖母は体力低下。
祖母の代わりにわたしと母の二人で台所のすべてをすることになったのです。
母とわたしが交代で、台所を仕切ることになったのです。わたしは大学生になりました。
高校時代は、祖母が多少動けましたから良かったのですが、わたしが大学生になってからは大変でした。
大学へ行きながら、できる限り家事をしていました。
忙しいときは、当然大学を休むことになりました。母一人では無理だったのです。
元々、”女子は勉強は不要”という父親でしたから…。
”大学に行かせてあげて…”と、父にお願いしてくれたのは祖母でした。嬉しかったです。
癌が転移して、祖母が床に付いてしまってからは、今まで以上に大変になりました。
祖母の看病が大変になりましたので、わたしは中学の教師を辞め、祖母の介護に専念。でも3か月後他界。
最後の最後まで、頑張った祖母に感謝しながら、祖母への尊敬の思いは大きくなって行きました。
優しくて、とても素敵な祖母でした。今でも感謝の気持ちが一杯です。