フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

2月12日(日曜日)わたしが中学生だったころの春休みを想い出しました

2023-02-12 21:13:22 | 老人一人暮らし

5時半に目覚め、障子を開けて外を見ました。日の出前でしたがこの頃は大分明るくなっています。
小学生の頃、気象係をしていましたので、学校で計器の数値を記録してい居ました。
日の出、日の入りの時刻は、毎日新聞を見て記録をして、グラフ用紙に記入していました。

天気図も毎日新聞でみていましたね。
天気図を見ながら、いろいろ想像して、お天気の予想をして楽しんでいました。
懐かしい良い想い出になっています。

今でも天気図を見るのは好きです。
でも、わたしが気象係をしていたのは、70年以上前の事ですから今の天気図程、正確性は無かったはず。
それでも、天気図を見ながら予想をして楽しんでいました。

現在のように、遊ぶおもちゃもありませんでしたから、仲間で天気図を見ながら
色々想像して楽しんでいました。


わたしが大学生の頃、都内の23区は直通で電話がかかりましたが、地方ですと電話局に電話をして
相手の電話番号を伝え、呼び出して戴いていました。神奈川県座間市の友人宅への電話も同様。

電話局に呼び出し依頼をしてから、1時間くらいは当たり前のように、待たないとです。
局からの電話を待つのですから、地方から大学に来ていました友人たちは大変でした。

ラジオはありましたがNHKだけで、今のように民放ラジオは無かったような気がします。
それも、ラジオは一軒に1台”でしたね。
わたしが中学生の頃、春休みは甲子園の高校野球を聴きたくて、毎日ラジオで野球を聴いていました。

ラジオを聴きながら、新しい教科書の予習?と言うか、新しい内容への好奇心が強く、
数学などは、読みながら答えを出して楽しんでいたものです。
毎日、野球を聴きながら、新しい教科書にじゃれていましたね。楽しい良い時間でした。

当時はまだどの家にもテレビはありませんでした。わたしが高校生の頃にテレビが出現。
一般の家に、テレビがあるようになったのは、それから数年後です。

”勉強をしていた”と言う意識は無く、当人には”遊び”の一つでした。
今でも、当時の春休みは、とても良い想い出になっています。
ラジオを独り占めにして、甲子園の野球を聴き、贔屓の学校を応援しつつ、新しい教科書に戯れていました。

今思い出しても、良い時間だったと思いますし楽しい時代でした。
中学時代の3年間は、思いっきり羽を伸ばしてた良い時期だったのでは?と今も思います。

 

今日も、独りでテレビの音を聞きながら、コート作りに夢中だったからでしょうか、
昔々の春休みを思い出し、懐かしみました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする