5時半に目覚め、障子を開けて外を見ました。日の出前でしたがこの頃は大分明るくなっています。
小学生の頃、気象係をしていましたので、学校で計器の数値を記録してい居ました。
日の出、日の入りの時刻は、毎日新聞を見て記録をして、グラフ用紙に記入していました。
天気図も毎日新聞でみていましたね。
天気図を見ながら、いろいろ想像して、お天気の予想をして楽しんでいました。
懐かしい良い想い出になっています。
今でも天気図を見るのは好きです。
でも、わたしが気象係をしていたのは、70年以上前の事ですから今の天気図程、正確性は無かったはず。
それでも、天気図を見ながら予想をして楽しんでいました。
現在のように、遊ぶおもちゃもありませんでしたから、仲間で天気図を見ながら
色々想像して楽しんでいました。
わたしが大学生の頃、都内の23区は直通で電話がかかりましたが、地方ですと電話局に電話をして
相手の電話番号を伝え、呼び出して戴いていました。神奈川県座間市の友人宅への電話も同様。
電話局に呼び出し依頼をしてから、1時間くらいは当たり前のように、待たないとです。
局からの電話を待つのですから、地方から大学に来ていました友人たちは大変でした。
ラジオはありましたがNHKだけで、今のように民放ラジオは無かったような気がします。
それも、ラジオは一軒に1台”でしたね。
わたしが中学生の頃、春休みは甲子園の高校野球を聴きたくて、毎日ラジオで野球を聴いていました。
ラジオを聴きながら、新しい教科書の予習?と言うか、新しい内容への好奇心が強く、
数学などは、読みながら答えを出して楽しんでいたものです。
毎日、野球を聴きながら、新しい教科書にじゃれていましたね。楽しい良い時間でした。
当時はまだどの家にもテレビはありませんでした。わたしが高校生の頃にテレビが出現。
一般の家に、テレビがあるようになったのは、それから数年後です。
”勉強をしていた”と言う意識は無く、当人には”遊び”の一つでした。
今でも、当時の春休みは、とても良い想い出になっています。
ラジオを独り占めにして、甲子園の野球を聴き、贔屓の学校を応援しつつ、新しい教科書に戯れていました。
今思い出しても、良い時間だったと思いますし楽しい時代でした。
中学時代の3年間は、思いっきり羽を伸ばしてた良い時期だったのでは?と今も思います。
今日も、独りでテレビの音を聞きながら、コート作りに夢中だったからでしょうか、
昔々の春休みを思い出し、懐かしみました