午後から寒くなるとの予報でしたが、2月と言うのに暖かい陽ざしが有る一日に。
でも今日の予定は、プラゴミをゴミ収集所に持って行くだけでした。
何とか今週中に、今手掛けてますコートを仕上げたい…。
昨日は、思いがけない方から電話を頂き、先方の色々なことを伺っている内に長電話に。
ご主人が亡くなられた事から始まり、築25年になる家の補修を全くしていなかったとか…。
その結果、家に手を入れなければ、修理が出来なくなるといわれたとか…。
その件での話が長かったですね。
我が家は、ペンキなども定期的にお願いしていましたので、友人の言葉に驚きました。
お住まいになっている地域が湿度の高い地域だとか…。なおの事、手を入れなければ…でしたのに…。
我が家は、昨年末で築52年になりました。まだまだ、住めるのでは?と思っています。
両親の援助を受けず、夫とわたしの収入で建てた家です。
それも、家を建てようと必死にならずに建てられた事が、わたし達夫婦の誇りでした。
新婚旅行の帰り道、唐突に夫が「僕の収入だけで生活して欲しい」とわたしに言ったのです。
彼の収入がどの位で、生活するのにどの位必要かも判らなかったのですが、承諾しました。
生活が始まり、流石に生活は厳しく大変でしたが、若かったですし以前から家事はしていましたので、
色々工夫をし、わたしの収入には手を付けず、頑張りました。
夫にも、若い人たちと外に飲みにいかず、我が家で飲み会をする様お願いしました。
飲み物だけ、お客人たちにお持ちいただき、食べ物は一切わたしが作るようにしたのです。
若い方は、ほとんどが社宅の最上階に住んでいましたから、彼らも喜んで下さいました。
嫁ぐ前、毎日10人以上の食事を用意していましたので、大変では無かったのです。
夫が外で使う金額で、食事とお酒の肴の用意は十分出来ました。色々工夫もしましたが…。
今では懐かしい良い想い出になっています。寒い季節は、味噌田楽を喜んで下さいましたし、
掻き揚げやフライ物など、なんでも喜んで下さり、わたしも楽しかったです。
その間、姑との約束で夫の賞与は手を付けず、夫との約束で、わたしの収入にも手を付けず、でした。
家を建てる金額には不足でしたが、設計管理をして下さる方が居られ、その方にお任せしました。
色々な面から”家を建てる”事を、独り勉強し、希望の平面図を書き上げていました。
素人のわたしの平面図を気に入って下さり、多少変更はありましたが、わたしの図で完成。
社宅の時、洗面所兼脱衣所が狭くて困りましたので、我が家の洗面所は普通より広めです。
日記を書きながら、当時の事を色々想い出し、当時を懐かしんでいました。