本澤二郎の「日本の風景」(1683) <恐ろしい言論弾圧事件が発覚> <公共放送を返上したNHK>
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投稿者 笑坊 日時 2014 年 7 月 12 日 17:32:13: EaaOcpw/cGfrA
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52075483.html
2014年07月12日 「ジャーナリスト同盟」通信
<恐ろしい言論弾圧事件が発覚>
写真週刊誌「フライデー」に恐ろしい事件が載った。官房長官の菅義偉に対しての、ごくありきたりのNHK質問に本人が激怒、NHKが土下座して謝った、というのである。NHKは公共放送である。国民に奉仕する電波である。政府を監視する使命を帯びている。その使命をNHKは放棄している、ただそれだけでなく官邸に監視され、気に食わないとNHKが恫喝されるという従属奴隷関係になっていたのである。これは恐ろしい言論弾圧の大事件である。司法と立法府は、主権者に代わって直ちに行動を起こす義務がある。
<NHKを完全制圧した首相官邸!>
想像するに、安倍も菅もNHKを自分たちの広報宣伝の電波と信じて疑わないのだ。菅は憲法違反の集団的自衛権行使を「そうではない」と国民に逆宣伝するためにNHKを訪れた。そこに三井財閥のモミイが会長として、のこのこ出てきて挨拶までしていた、というから、これも驚きである。
菅にとってNHKは自己宣伝機関にすぎないと思っている。国民の抱くありふれた疑問を、NHKきっての名キャスター・国谷裕子が、事前に官邸を怒らせないレベルの内容質問を用意、それを聞いただけだった。
それなのに菅は怒り狂ったらしい。菅は悪辣な無教養人物であることをさらけ出したのだ。それなのに三井が送り込んだモミイは、平身低頭して謝罪したという。興味ある市民はフライデー記事を読むといい。
公共放送のNHKが震え上がった。国谷キャスターは「すいません」と謝りながら泣きだしたという。
<公共放送を返上したNHK>
本末転倒とはこのことか。怒り出すのは、菅ではなくNHKの方ではないか。NHKは公共放送として、事の顛末を全て明らかにして菅の首を、言論の力ではねる責任がある。
そうでないとすると、NHKは公共放送ではない。血税を全て国民に返還して自ら解体しなければならない。
公共放送の任務放棄は、もはやNHKの存立を自ら否定している。
<言論の自由を放棄したNHK>
NHKは言論の自由を放棄している。官邸の意向に屈服したNHKは、国民にどう釈明するのか。言論の自由は、日本国憲法が保障した基本権である。
今回の官邸の圧力は、弁解の余地など無い明白な言論弾圧大事件である。真実を公表して司法と国会の判断を急ぎ仰ぐべきだろう。自公政権は菅の更迭と同時に、合わせて司法・国会の判断に委ねる義務がある。
<なぜ写真週刊誌フライデーの特ダネか>
それにしても、なぜフライデーの特ダネだったのか。
菅には官房長官番記者がついている。大手新聞・テレビ・通信社も、この様子を知る立場にある。これをどうして記事にしなかったのか。これも重大な問題である。事実を伝えない新聞テレビである。
新聞協会はどう釈明するのか。日本ジャーナリズムの劣化で済ませる問題ではない。新聞倫理にも反する重大な事案である。NHKへの言論弾圧と共に、これは新聞人の倫理喪失を問われてもいる。こうした報道現場を、どう再生させるのか。これに真正面から取り組む必要があろう。言えることは、これらは日本の新聞テレビの崩壊現象そのものであるが、それがこの1年の間に国民誰もが気付いていることである。
<日本国民は決起、決起>
敗戦で公正な言論を約束して復帰した日本の新聞ではなかったのか。今の安倍内閣は敗戦前の日本政治へと、間違いなく回帰している。これと闘うべきなのに、逆に彼らの広報宣伝に甘んじている。NHKの責任放棄は、他の新聞テレビの責任放棄をも意味している。
自民党リベラル派の村上誠一郎が歯ぎしりして怒るのは、国民の代表として当たり前のことである。
言論界の劣化が、安倍・国粋主義をのさばらせる元凶であろう。こんなことがなぜ、分からないのか。分かろうとしないのか。日本国民は、これほど馬鹿にされても馬耳東風を決め込むのか。決起・決起するほかないのである。
2014年7月12日記